大臣は思っていることを
残らず外へ出してしまわねば
我慢のできないような性質である上に
老いの僻《ひが》みも添って、
ある点は斟酌《しんしゃく》して
言わないほうがよいなどという遠慮もなしに雄弁に、
源氏と尚侍の不都合を太后に訴えるのであった。
まず目撃した事実を述べた。
「この畳紙の字は右大将の字です。
以前にも彼女は大将の誘惑にかかって
情人関係が結ばれていたのですが、
人物に敬意を表して私は不服も言わずに
結婚もさせようと言っていたのです。
その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、
私は残念でならなかったのですが、
これも因縁であろうと我慢して、
寛容な陛下はまた私への情誼《じょうぎ》で
過去の罪はお許しくださるであろうとお願いして、
最初の目的どおりに宮中へ入れましても、
あの関係がありましたために
公然と女御《にょご》にはしていただけないことででも、
私は始終寂しく思っているのです。
それにまたこんな罪を犯すではありませんか、
私は悲しくてなりません。
男は皆そうであるとはいうものの
大将もけしからん方です。
神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを
言う者もありましたが、
私は信じることはできませんでした。
そんなことをすれば世の中全体が
神罰をこうむるとともに、
自分自身もそのままではいられないことは
わかっていられるだろうと思いますし、
学問知識で天下をなびかしておいでになる方は
まさかと思って疑いませんでした」
【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】
正妻の葵の上が亡くなった。
六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと
世間は噂していた。
しかし 源氏は冷たくなり 縁が程遠くなった御息所。
彼女は 悩みながらも斎宮とともに伊勢に下ることにする。
いよいよ出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと、
源氏も御息所のもとを訪ねる。
顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、
伊勢へと下って行った。
桐壷院の病が重くなる。
死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを
遺言で託した後 ほどなく崩御してしまう。 時勢は、
左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。
朱雀帝の優しい性格もあって、
政治は右大臣に権力が集中していった。
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