式子内親王(89番)新古今集 恋一・1034
🌹玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
〜我が命よ、 絶えてしまうのなら絶えてしまえ。
このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。
🌸式子内親王🌸 しょくし(または、しきし)ないしんのう (生年未詳~1201年)
後白河院の第三皇女で、「大炊御門斎院(おおいのみかどいつき)」と称される。
賀茂斉宮(かもさいぐう)などを務めました。
実兄の以仁王(もちひとおう)が、源頼政(みなもとのよりまさ)が
平氏に対して挙兵し失敗した事件に連座。
1197(建久8)年頃に出家しました。 新古今集時代の代表的な女流歌人。
藤原俊成の弟子でした。 なんと、藤原定家と恋愛関係にあったという説もあります。
式子内親王と藤原定家が能楽になっています🌿
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地をする音楽もことに冴《さ》えて聞こえた。同じ舞ながらも面《おもて》づかい、足の踏み方などのみごとさに、
ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。
舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽《かりょうびんが》の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。
陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、
待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬《ほお》が染まって常よりもまた光る君と見えた。