殷富門院大輔(90番)千載集 恋・884 🌊
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず
〜あの人に見せたいものよ。
雄島の漁師の袖でさえ、どれほど波しぶきで濡れに濡れたとしても
色が変わらないというのに、 私の袖はもう涙ですっかり色が変わっている。
🌸 殷富門院大輔 🌸 いんぷもんいんのたいふ (1131頃~1200頃)
藤原信成(のぶなり)の娘 後白河天皇の第一皇女 亮子(りょうし)内親王
(式子内親王の姉で、後の殷富門院) に仕えました。
💠上リンクより引用若い頃から後白河院の第1皇女・殷富門院(亮子内親王)に出仕、それに伴い歌壇で長年にわたり活躍した。俊恵が白川の自坊で主宰した歌林苑(宮廷歌人の集まり)のメンバーでもあり、藤原定家・寂蓮・西行・源頼政など多くの歌人と交際があった。
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左馬頭は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。
中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしきりに相槌《あいづち》を打っているのであった。
「まあほかのことにして考えてごらんなさい。指物師《さしものし》がいろいろな製作をしましても、
一時的な飾り物で、決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、
いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われますが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を
上手にこしらえ上げるのは名人でなければできないことです。