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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【皇太后宮大夫俊成 藤原俊成】83番 世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる🍃

【皇太后宮大夫俊成 藤原俊成】83番 千載集 雑・1148

世の中よ 道こそなけれ 思ひいる 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる🍃

〜この世の中には、 悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。

思いつめ 分け入った この山の中にさえ、 哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。

💠皇太后宮大夫俊成💠 こうたいごうぐうのだいぶとしなり

💠藤原俊成 ふじわらのとしなり(しゅんぜい) (1114~1204)

藤原俊忠の子 百人一首の撰者、定家の父西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人。

正三位・皇太后宮大夫となった。

藤原俊成殿は、藤原定家の父🌟

後鳥羽院、式子内親王、藤原良経、俊成卿女‥素晴らしい歌人達の師匠でした💠



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

幽玄(ゆうげん)とは、文芸・絵画・芸能・建築等、

諸々の芸術領域における日本文化の基層となる理念の一つ。

本来は仏教老荘思想など、中国思想の分野で用いられる漢語であったが、平安時代後期から鎌倉時代前期の代表的歌人であり、千載和歌集を撰集した藤原俊成により、和歌を批評する用語として多く用いられて以来、歌論の中心となる用語となった。同じ歌道の理念である有心(うしん)とともに並び用いられることが多いが、本来は別の意味の言葉である。

その後、能楽連歌茶道俳諧など、中世・近世以来の日本の芸術文化に影響を与え続け、今日では一般的用語としても用いられるに至っている。

↓御子息は藤原定家殿です🌟

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子供心に機会をねらっていたが、そのうちに紀伊守《きいのかみ》が任地へ立ったりして、

残っているのは女の家族だけになったころのある日、夕方の物の見分けの紛《まぎ》れやすい時間に、

自身の車に源氏を同乗させて家へ来た。

なんといっても案内者は子供なのであるからと 源氏は不安な気はしたが、慎重になどしてかかれることでもなかった。

目だたぬ服装をして紀伊守家の門のしめられないうちにと急いだのである。