2023-03-18から1日間の記事一覧
「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、 やはり田舎者らしかろうよ。 小さい時からそんな所に育つし、 頑固な親に教育されているのだから」 こんなことも言う。 「しかし母親はりっぱなのだろう。 若い女房や童女など、 京のよい家にいた人な…
源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になると もう発作が起こるころであるがと不安だった。 「気をお紛《まぎ》らしになって、 病気のことをお思いにならないのが いちばんよろしゅうございますよ」 などと人が言うので、 後ろのほうの山へ出て今度は京…
源氏は瘧病《わらわやみ》にかかっていた。 いろいろとまじないもし、 僧の加持《かじ》も受けていたが効験《ききめ》がなくて、 この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、 「北山の某《なにがし》という寺に非常に上手な修験僧がおります…
少納言、実は先週、大腸ポリープの手術で入院しておりました そもそも、便秘も下痢もあまり経験もなく、消化器系は丈夫ᕦ(ò_óˇ)ᕤ とはいえ、夫の健保組合から検診受けたか?検診受けろと言ってくる。 検診は家族も受けることができることもあり、 全身の健診…
順徳院(100番)続後撰集 雑下・1205 百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 〜時代を経て古びてしまった建物の軒の端に、 しのぶ草が生い茂っている。 それを見るにつけ、 朝廷が栄えた昔のよき時代が しのばれて…
【後鳥羽院】(99番)続後撰集 雑・1199 人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は 〜ある時は人々を愛しく思い、 またある時は恨めしいとも思う。 この世はどうにかならないものだろうが、 それゆえに物思いをする私であるよ。 後鳥羽院…
藤原家隆(98番) 新勅撰集 夏・192 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 〜楢の葉を揺らすそよ風が吹き、 夕暮れは秋のように涼しい。 しかし、上賀茂神社の境内を流れる 御手洗川で 行われるみそぎの光景を見ると、 やはりまだ夏…
【権中納言定家 藤原定家】(97番)新勅撰集 巻13・恋3・849 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ 〜待っても来ない人を待つ私 松帆の浦の浜辺で 焼いている藻塩の煙がなびいているが、 この身も恋の思いにこがれていく…
【藤原公経(入道前太政大臣)(西園寺公経)】 (96番)新勅撰集 雑・1054 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり 〜桜を誘って散らす激しい風が吹く庭。 そこに散り敷くのは雪かと思う。 しかしふる(降る)のは雪ではなく、 実は古び…
【前大僧正慈円】(95番) 千載集 雑中・1137 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣そまに 墨染すみぞめの袖 〜身のほどをわきまえないことだが、 このつらい世の中を生きる人々に 覆い掛けるのだ。 比叡山に住み、 修行の道に入った私の僧衣の袖…