【在原行平】(16番)『古今集』離別・365 🍀
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む 🍀
〜お別れして、因幡の国へ行く私ですが、
因幡の稲羽山の峰に生えている松の木のように、
私の帰りを待つと聞いたなら、すぐに帰って参りましょう。
💠在原行平💠(ありわらのゆきひら。818~893)
平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の子
在原業平ありわらのなりひらの異母兄 🌿
文徳天皇の御代の850年ごろ、
過失をおかして一時期須磨に流されたことがされています。
正史には記録がありませんが、
「源氏物語」の須磨巻で、光源氏が須磨に隠退した構想は
行平がモデルではないかといわれています。
在原行平は、"昔おとこありけり"の『伊勢物語』、六歌仙の一人としてで有名な在原業平 ありわらのなりひらの兄です。
浮名を流していた弟とは違い、中央の要職や地方の国守などを歴任し、
最後には太宰権師(だざいごんのそち=九州地域の兵を統率する司令官代理)になりました。
在原行平は能楽で有名でもあります(。・ω・。)
文徳天皇もんとくてんのうのご機嫌を損ねて須磨に謹慎になった行平様‥
なんか地元の可愛い姉妹ををナンパしたうえ、
名前も華がないじゃんとかで「松風まつかぜ」「村雨 むらさめ」と名づけて仲良くしてたわけ😓
こういうところが、光源氏のモデルとも言われるのだろうけど( ̄▽ ̄;)ということで、行平と松風、村雨姉妹のお話は美しいになっております。
【資料🌊】
在原行平、在原業平のお父君は安保親王。
本来であれば皇太子の立場でありましたが、薬子の乱のとばっちりで左遷されました。
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