鶏《とり》の声がしてきた。家従たちも起きて、
「寝坊をしたものだ。早くお車の用意をせい」
そんな命令も下していた。
「女の家へ方違《かたたが》えにおいでになった場合とは違いますよ。
早くお帰りになる必要は少しもないじゃありませんか」
と言っているのは紀伊守であった。
源氏は もうまたこんな機会が作り出せそうでないことと、
今後どうして文通をすればよいか,
どうもそれが不可能らしいことで胸を痛くしていた。
女を行かせようとしてもまた引き留める源氏であった。
「どうしてあなたと通信をしたらいいでしょう。
あくまで冷淡なあなたへの恨みも、恋も、一通りでない私が、
今夜のことだけを いつまでも泣いて思っていなければならないのですか」
泣いている源氏が非常に艶《えん》に見えた。
何度も鶏《とり》が鳴いた。
『つれなさを 恨みもはてぬ しののめに
とりあへぬまで 驚かすらん』
あわただしい心持ちで源氏はこうささやいた。
女は己を省みると、
不似合いという晴がましさを感ぜずにいられない源氏から
どんなに熱情的に思われても、
これをうれしいこととすることができないのである。
それに自分としては愛情の持てない夫のいる 伊予の国が思われて、
こんな夢を見てはいないだろうかと考えると恐ろしかった。
『身の憂《う》さを 歎《なげ》くにあかで 明くる夜は
とり重ねても 音《ね》ぞ泣かれける』
と言った。
ずんずん明るくなってゆく。
女は襖子《からかみ》の所へまで送って行った。
奥のほうの人も、
こちらの縁のほうの人も起き出して来たんでざわついた。
襖子をしめてもとの席へ帰って行く源氏は、
一重の襖子が越えがたい隔ての関のように思われた。
直衣などを着て、
姿を整えた源氏が縁側の高欄《こうらん》によりかかっているのが、
隣室の縁低い衝立《ついたて》の上のほうから見えるのをのぞいて、
源氏の美の放つ光が身の中へしみ通るように思っている女房もあった。
残月のあるころで 落ち着いた空の明かりが物をさわやかに照らしていた。
変わったおもしろい夏の曙《あけぼの》である。
だれも知らぬ物思いを、心に抱いた源氏であるから、
主観的にひどく身にしむ夜明けの風景だと思った。
言《こと》づて一つする便宜がないではないかと思って 顧みがちに去った。
家へ帰ってからも源氏はすぐに眠ることができなかった。
再会の至難である悲しみだけを自分はしているが、
自由な男でない人妻のあの人は
このほかにもいろいろな煩悶《はんもん》があるはずであると
思いやっていた。
すぐれた女ではないが、感じのよさを十分に備えた中の品だ。
だから多くの経験を持った男の言うことには敬服される点があると、
品定めの夜の話を思い出していた。
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