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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語111 第四巻完 三井寺炎上】灰燼に帰したのは、本覚院、成喜院、真如院、鐘楼、護法善神の社壇、新熊野の宝殿‥この火災で智証大師が唐からたずさえた所の一切経七千余巻、仏像二千余体は灰となった。

 五月二十七日、三井寺攻略の軍が起された。

奈良興福寺と三井寺互に呼応して謀叛の宮を受け入れ、

あるいは武装して出迎えるなど、

これは朝敵の行為であると平家は断じ、

共に討つべしとの声が高まったが、

まず三井寺からと軍が編成された。

大将軍は頭中将重衡、副将軍に薩摩守忠度、

その勢合せて一万余騎、三井寺向って進発した。

寺の衆徒一千余人、死を決してこれを迎えた。

逆木《さかもぎ》を設け、関所を数多くつくった。

戦は朝六時から矢合せで始められ、

十分の一の小勢ながら死物狂いで防戦する三井寺の衆徒に

平家も手をやいた。

日が暮れ夜に入っても戦は激しくなるばかり、

すでに三百余人が討死した寺側の

防備のうすいところを狙って夜襲を敢行した攻略軍は、

遂に寺に攻めこんだ。

寄手の兵が寺の坊という坊に火を放ち始めれば、

たちまち三井寺は巨大な焔に包まれた。

生き残った衆徒は四散し、

寺の火災はいつ止むとも知らなかった。

 これで灰燼《かいじん》に帰したのは、

本覚院、成喜院《じょうきいん》、真如院、鐘楼、

護法善神の社壇、新熊野の宝殿など、

もろもろの堂舎塔廟六百三十七むね、

それに大津の民家一千八百五十三家、

この火災で智証大師が唐からたずさえた所の一切経七千余巻、

仏像二千余体は灰となった。

 三井寺は天智天皇の御願寺《ごがんじ》、

その後智証大師がここを伝法|灌頂《かんじょう》の霊所として

園城寺《おんじょうじ》を建てた尊い場所である。

が、今はもう焼跡しかない。

修行の鈴の音も絶え、仏前にそなえる水を汲む人影もない。

三井寺の首長円慶法親王は別当を免ぜられ、

役僧も免官、堂衆三十四人は流罪に処せられた。

 このような国土の騒ぎ、天下の乱れはただごととは思われない。

平家の世も末になる前兆か、

と人々はひそかに噂し合っているが、

噂はもう高声で話される始末である。

🔥🎼#大河 written by #伊藤ケイスケ  

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