三井寺から檄文を受けとった比叡山門の大衆は、
いささか機嫌を損じた。
山門は本山であるとの自負がある。
「鳥の双翼、車の両輪」という文句が気に障った。
当山の末寺三井寺が
山門を同格に扱うのは無礼であるというのである。
憤慨のうちに返事はのばされた。
これと殆んど時を同じうして、
天台座主明雲大僧正が突然山に来て、
衆徒を説得して廻った。清盛の打った手である。
こうして、三井寺への返事には、
態度未定、目下検討中という
政治的用語をふんだんに使われた返書が送りかえされた。
入道清盛から、さらに比叡衆徒の懐柔策がとられ、
通りがかりの手土産として、
近江米二万石、
北国の織延絹《おりのべぎぬ》三千疋を山門へ寄せた。
急ぎ皆に分け与えよ、というので谷や峰の僧坊にわけられたが、
突然のことで分配はうまくゆかず、
どさくさに紛れての一人占めなどの火事場泥棒騒ぎであった。
また奈良興福寺への三井寺からの檄は、
比叡に送ったものとほぼ同文であったが、その末尾に、
「特に貴寺においては、
罪なき関白藤原基房卿を鬼界ヶ島に流されるなど、
清盛からは多くのはずかしめを受けられている。
この時恥をすすがずんば、いつの日を期し得ようか」
と特記し、格別の協力を要請したのであった。
🌺🎼大河 written by 伊藤ケイスケ
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