google.com, pub-8944455872984568, DIRECT, f08c47fec0942fa0

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語112 第5巻 都うつり①】法皇の御子高倉宮の謀叛を大いに怒り、このたび福原への御幸を強い、四方に板垣をめぐらし、入口を一つだけ開けた三間四方の粗末な板屋を作り、ここに法皇を押しこめた。

 京都の街は公卿も庶民も動揺した。

治承四年六月三日の日、天皇は福原へ行幸し、

都うつりさせ給うとのことである。

都うつりの噂はかねて流れてはいたが、

まだまだ先のことであると人々は思っていた。

それが三日ときまっていたのを一日早められた。

ことの意外に京中はあわてふためいた。

院政に訣別し新帝を擁して

平家独裁政府樹立にふみ切った清盛の意志は固かった。

六月二日午前六時、天皇は御輿にのった。

年僅かに三歳の幼児である。

無心に乗る帝と共に同乗したのは母后《ぼこう》ではなく

御乳母《おんめのと》の帥典侍殿《そつのすけどの》一人、

そして

中宮建礼門院、後白河法皇、高倉上皇も御幸《ごこう》になれば、

太政大臣以下の公卿殿上人、

平家では入道清盛以下一門がつき従った。

一行は翌三日福原に入った。

入道の弟 池《いけの》中納言 頼盛《よりもり》の山荘が皇居にきめられ、

四日頼盛はその賞として正二位に任ぜられた。

 清盛は諫められたこともあったので、

漸く後白河法皇を鳥羽の北殿から出して京都へ移したが、

法皇の御子高倉宮の謀叛を大いに怒り、

このたび福原への御幸を強《し》い、四方に板垣をめぐらし、

入口を一つだけ開けた三間四方の粗末な板屋を作り、

ここに法皇を押しこめた。

守護の武士としては原田《はらだの》大夫種直ただ一人だけつけておき、

容易に人の出入りも出来ない有様である。

大人たちは御所と称していたが、

何事も現実的に表現する子供たちは、これを牢と呼んでいた。

🌊🎼#静かな夜(Quiet Night) written by #蒲鉾さちこ 

 

少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com

 

🪷聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画。チャンネル登録お願いします🪷