源氏の参賀の場所は数多くもなかった。
東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、
年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
女房たちがこうささやいている時に、
宮はわずかな几帳《きちょう》の間から源氏の顔をほのかに見て、
お心にはいろいろなことが思われた。
御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、
この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、
帝もすでに、
皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、
何ともなくて一月もたった。
物怪《もののけ》が御出産を遅れさせているのであろうかとも
世間で噂《うわさ》をする時、宮のお心は非常に苦しかった。
このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、
こんな煩悶《はんもん》をされることが
自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。
それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、
目だたぬように産婦の宮のために
修法《しゅほう》などを あちこちの寺でさせていた。
この間に御病気で 宮が亡くなっておしまいにならぬかという不安が、
源氏の心をいっそう暗くさせていたが、
二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、
帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉《しゅうび》を開いた。
なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、
弘徽殿《こきでん》あたりで言う 詛《のろ》いの言葉が
伝えられている時に
自分が死んでしまっては みじめな者として笑われるばかりであるから、
とそうお思いになった時からつとめて
今 は死ぬまいと強くおなりになって、
御衰弱も少しずつ恢復《かいふく》していった。
帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。
人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら
源氏は伺候者の少ない隙《すき》をうかがって行った。
「陛下が若宮に
どんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。
それで私がまずお目にかかりまして
御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生まれたての方というものは
醜うございますからお見せしたくございません」
という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。
それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、
別のものとは決して見えなかったからである。
宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。
この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、
何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。
どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、
結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。
源氏は稀《まれ》に都合よく王命婦が呼び出された時には、
いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、
今はもう何のかいもなかった
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💠源氏物語 第七帖 紅葉賀💠(前半)
世間は朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備でかまびすしい。
桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、
一の院の五十歳の誕生日の式典という慶事を
より盛大なものにしようという意向を示しているため、
臣下たちも舞楽の準備で浮き立っている。
ところが、それほどまでに望まれていた藤壺の子は桐壺帝の御子ではなく、
その最愛の息子光源氏の子であった。
このことが右大臣側の勢力、特に東宮の母で藤壺のライバル、
また源氏の母を迫害した張本人である弘徽殿女御に発覚したら二人の破滅は確実なのだが、
若い源氏は向こう見ずにも藤壺に手紙を送り、
また親しい女官を通して面会を求め続けていた。
一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、
一人秘密を抱えとおす決意をし、源氏との一切の交流を持とうとしない。
源氏はそのため華やかな式典で舞を披露することになっても浮かない顔のままで、
唯一の慰めは北山から引き取ってきた藤壺の姪に当たる少女若紫(後の紫の上)の
無邪気に人形遊びなどをする姿であった。
帝は式典に参加できない藤壺のために、
特別に手の込んだ試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決める。
源氏は青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、
藤壺も一瞬罪の意識を離れて源氏の美貌を認める。
源氏を憎む弘徽殿女御は、舞を見て
「まことに神が愛でて、さらわれそうな美しさだこと。おお怖い。」と皮肉り、
同席していたほかの女房などは「なんて意地の悪いことを」と噂する。
紅葉の中見事に舞を終えた翌日、
源氏はそれとは解らぬように藤壺に文を送ったところ、
思いがけず返事が届き胸を躍らせた。
五十の賀の後、源氏は正三位に。
頭中将は正四位下に叙位される。
この褒美に弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満を露わにし、東宮に窘められる。
翌年二月、藤壺は無事男御子(後の冷泉帝)を出産。
桐壺帝は最愛の源氏にそっくりな美しい皇子を再び得て喜んだが、
それを見る源氏と藤壺は内心罪の意識に苛まれるのだった。
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