夕顔の遺児玉鬘は母の死後、
4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国し、
乳母の夫太宰少弐が死去した後上京できぬまま、
既に20歳になっていた。
その美貌ゆえ求婚者が多く、
乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、
病気で結婚できないと断り続けてきたが、
ついには次男・三男までもが大夫監に味方し、
乳母一家は二つに分裂。
長男の豊後介にはかって船で京に逃げ帰った。
しかし京で母夕顔を探す当てもなく、神仏に願掛けし、
長谷寺の御利益を頼み参詣の旅に出たところ、
椿市の宿で偶然、
元は夕顔の侍女で今は源氏に仕える右近に再会した。
右近から「源氏の大臣が自分の事のように、
心配して探している」と知らされ、
夕顔が亡くなった時のいきさつを聞いた乳母一家は驚く。
右近の報告に源氏は玉鬘を自分の娘というふれこみで六条院に迎え、
花散里を後見に夏の町の西の対に住まわせた。
年の暮れ、源氏は女性らに贈る正月の晴れ着を選び、
紫の上は複雑な気持ちでその様子を見ていた。
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