いまは九重の上、お噂とて、なかなか洩れ難いが、
かつて吉田定房の邸におられた皇太子時代には、
そうした豪気による放埒の御片鱗が、
しばしば世上に聞えぬでもなかった。
たとえば、その当時。
ある年の秋の一夜だったが、
西園寺《さいおんじ》の
前《さき》ノ太政大臣実兼《さねかね》の末の姫が、
とつぜん北山の邸から姿を消した事件など、
ひところの騒ぎであった。
姫はまだ十七、
深窓の愛《いつく》しみにくるまれていたが、
佳麗な容姿はかくれもなく、
つねづね若公卿ばらの野心のまとであった。
それだけに、西園寺家では
「——いかなる悪党の仕わざか。
もしや野伏《のぶせり》から人買いの手にでも渡されてか?」
などと、全家の憂いをあげて、
八方せんぎの手をつくしたところが、
なんと、姫を盗んだ下手人は、
皇太子尊治の君とやがて知れた。
おひとりでは出来ない芸で、
これには日頃の御学友なども加担していたにちがいない。
が、さすが乳父吉田定房の家には連れず、
よそに隠しおかれて、こよなき恋の巣と、
潜んでおいでだったものである。
相手が相手、西園寺家の方でも、
やがて、鳴りをひそめてしまったのはいうまでもない。
皇太子の姫盗みに会われた西園寺家の末むすめは、
禧子《よしこ》というお名であった。
しばらくは、皇太子との浮名沙汰など姦《かしま》しく、
他所に隠されておいでだったが、
やがて年経て、はからずも尊治が万乗の君となられたので、
禧子にも女御入内《にょごじゅだい》の宣旨がくだり、
またほどなく立后の儀も挙げられて、
いまはただしく今上後醍醐の皇后《みきさき》と
仰がれる御方とはなっている。
「なにが御運かしれぬものよ」
と、ひとは羨み、皇后の父実兼なども、
「——この齢になって」
と一家の栄えをほくほく顔とも聞えたが、
しかし、皇后には、
いくほどもなくお淋しげな影が深まっていた。
🌺🎼Cozy break time written by 蒲鉾さちこ
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