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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【私本太平記12 第1巻 大きな御手④〈おおきなみて〉】姫を盗んだ下手人は、皇太子尊治の君とやがて知れた。‥さすが乳父吉田定房の家には連れず、よそに隠しおかれ、こよなき恋の巣と、潜んでおいでであった。

 いまは九重の上、お噂とて、なかなか洩れ難いが、

かつて吉田定房の邸におられた皇太子時代には、

そうした豪気による放埒の御片鱗が、

しばしば世上に聞えぬでもなかった。

 たとえば、その当時。

 ある年の秋の一夜だったが、

西園寺《さいおんじ》の

前《さき》ノ太政大臣実兼《さねかね》の末の姫が、

とつぜん北山の邸から姿を消した事件など、

ひところの騒ぎであった。

 姫はまだ十七、

深窓の愛《いつく》しみにくるまれていたが、

佳麗な容姿はかくれもなく、

つねづね若公卿ばらの野心のまとであった。

 それだけに、西園寺家では

「——いかなる悪党の仕わざか。

もしや野伏《のぶせり》から人買いの手にでも渡されてか?」

などと、全家の憂いをあげて、

八方せんぎの手をつくしたところが、

なんと、姫を盗んだ下手人は、

皇太子尊治の君とやがて知れた。

 おひとりでは出来ない芸で、

これには日頃の御学友なども加担していたにちがいない。

が、さすが乳父吉田定房の家には連れず、

よそに隠しおかれて、こよなき恋の巣と、

潜んでおいでだったものである。

相手が相手、西園寺家の方でも、

やがて、鳴りをひそめてしまったのはいうまでもない。

 皇太子の姫盗みに会われた西園寺家の末むすめは、

禧子《よしこ》というお名であった。

 しばらくは、皇太子との浮名沙汰など姦《かしま》しく、

他所に隠されておいでだったが、

やがて年経て、はからずも尊治が万乗の君となられたので、

禧子にも女御入内《にょごじゅだい》の宣旨がくだり、

またほどなく立后の儀も挙げられて、

いまはただしく今上後醍醐の皇后《みきさき》と

仰がれる御方とはなっている。

「なにが御運かしれぬものよ」

 と、ひとは羨み、皇后の父実兼なども、

「——この齢になって」

 と一家の栄えをほくほく顔とも聞えたが、

しかし、皇后には、

いくほどもなくお淋しげな影が深まっていた。

🌺🎼Cozy break time written by 蒲鉾さちこ

 

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