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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語99 第4巻 大衆そろえ②】「今までこれというよしみもなかった私に、それほど心をかけてくれるのか」宮は感動の涙を押えかねた。そして、手勢一千五百人を引きつれて興福寺へ向われたのであった。

搦手に向う老僧たちの大将軍には源三位入道頼政、

乗円坊の阿闍梨慶秀、

律成坊《りつじょうぼう》の阿闍梨 日胤《にちいん》などを

はじめとして、その軍勢およそ千人、

手に手にたいまつを持ち進発した。

 大手の大将軍には嫡子伊豆守仲綱、

次男源大夫判官兼綱、

六条蔵人《ろくじょうのくらんど》仲家、

その子蔵人仲光をはじめとし、

大衆には円満院大輔源覚、

律成坊の伊賀公《いがのきみ》、

法輪院鬼佐渡など、

いずれも剛力で弓矢打物をとっては

鬼をもひしぐという一騎当千の精強である。

このほか平等院、北の院などの強僧も加わり、

武士には渡辺《わたなべ》の省《はぶく》、

播磨の次郎《じろう》授《さずく》、

競《きおう》の滝口などその勢合せて千五百余人、

眉宇に決意を秘めて三井寺を出発したのであった。

 ところが、寺には堀がひかれ、

要所には楯を並べ逆木《さかもぎ》を立てつらねるなど、

急造ながら厳重な防備が作られてあったため、

軍の進発には

これを一つ一つ取りのぞいてゆかねばならなかった。

堀に橋を渡し、逆木を取り払うなど面倒な作業を行って、

漸く、逢坂の関にかかったとき、

鶏鳴が暁を告げる始末、

夜襲の時刻は遥かに過ぎてしまった。

大将軍伊豆守仲綱は、

「ここで鶏が鳴くようでは、

 六波羅へ押し寄せる時はもう真昼となる。

 夜討ちの奇襲ならばどうにか戦える覚悟であるが、

 昼の戦ではこの小勢で勝目はない。

 先手のものを呼び返せ」

と下知した時、もう夜は白々と明けていた。

大手、搦手、ともかく兵を帰したが、

収まらぬのは若大衆である。

夜討ちの時期を失したのは、

かの一如坊の長談議のためである、

きゃつは平家に寄せる心があるに違いない、

裏切者を倒せとばかりに坊に押しかけて、

そこの坊主どもを片端から斬り殺した。

一如坊自身も満身に傷を受けたが漸くそこを脱し、

這うようにして六波羅へたどりつき、

これを涙と共に訴えた。

しかしこのとき六波羅に集った軍勢数万騎、

些かも動揺する気配を見せなかったのである。

 こうした中で高倉宮は

沈痛な面持で夜も寝ずに考えこんでいた。

山門は変心し、興福寺の援軍未だ来らず、

この三井寺の手勢では

圧倒的な平家の大軍に敵することは難しい、

それならここより優勢な奈良に行くのが良策であると、

二十三日暁方に三井寺を立つことに決めた。

このとき宮は二本の笛をもっていた。

小枝《さえだ》、蝉折《せみおれ》と名づけられた

古今の名笛で、

笛の名人とたたえられたため宮がこの笛を受けたものだが、

中でも蝉折は宋から渡来して朝廷に献じられたもので、

蝉の形をした竹の節があり、

あるとき公卿がこの笛を粗末にも膝から下に置いたところ、

これを笛がとがめたのか

蝉の所から折れてしまったという程のもの、

いま宮は三井寺を立つに及んで

本堂の弥勒菩薩《みろくぼさつ》に供えたのであった。

 宮のお供には、三位入道と渡辺の一味、

それに寺の若大衆が従った。

宮は老僧たちに別れを告げた。

乗円坊の阿闍梨慶秀は鳩《はと》の杖にすがって宮の前に進むと、

涙はらはらとこぼして申しあげた。

「拙僧、宮にいつまでもお従いしたき心にございますが、

 年すでに八十歳、足もなえて歩くのも困難でございます。

 代りに弟子の刑部房俊秀《ぎょうぶぼうしゅんしゅう》を

 お召し連れ下さい。

 この者先年平治の戦で

 故 左馬頭義朝に従って討ち死いたしました

 須藤刑部丞《ぎょうぶのじょう》俊通の子にございますれば、

 その心底拙僧よく存じておるもの、

 どこまでもお召し連れ下さい」

「今までこれというよしみもなかったこの私に、

 それほど心をかけてくれるのか」

宮は今さらながら感動の涙を押えかねた。

そして、

手勢一千五百人を引きつれて興福寺へ向われたのであった。

⚔️🎼大妖 written by 藍舟  

 

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