恋をすべきでない人に好奇心の動くのが源氏の習癖で、
顔を見ようとすれば、
よくそれもできた斎宮の幼少時代を
そのままで終わったことが残念である。
けれども運命は
どうなっていくものか予知されないのが 人生であるから、
またよりよくその人を見ることのできる日を
自分は待っているかもしれないのであるとも源氏は思った。
見識の高い、
美しい貴婦人であると名高い存在になっている御息所の添った
斎宮の出発の列をながめようとして
物見車《ものみぐるま》が多く出ている日であった。
斎宮は午後四時に宮中へおはいりになった。
宮の輿《こし》に同乗しながら御息所は、
父の大臣が未来の后に擬して東宮の後宮に備えた自分を、
どんなにはなやかに取り扱ったことであったか、
不幸な運命のはてに、
后の輿でない輿へわずかに陪乗して
自分は宮廷を見るのであると思うと感慨が無量であった。
十六で皇太子の妃《ひ》になって、二十で寡婦になり、
三十で今日また内裏へはいったのである。
そのかみを今日《けふ》はかけじと思へども
心のうちに物ぞ悲しき
御息所の歌である。
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