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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語45 第2巻 康頼祝詞①〈やすよりのりと〉】〜The Tale of the Heike💐

鬼界ヶ島に流された、俊寛、康頼、成経の三人は、

少将の舅、宰相教盛の領地である肥前、鹿瀬庄《かせのしょう》から、

何かにつけて衣類や食物を送らせるように手配して呉れたおかげで、

どうやらこうやら生きることだけは出来たらしい。

 康頼は、かねてから出家の志を持っていたが、

流罪の途中、周防《すおう》の室積《むろづみ》で出家し、

性照《しょうしょう》と名乗った。

ついにかくそむきはてける世の中を

  とく捨てざりしことぞくやしき

これはその時の歌である。

 少将と康頼は、前から熊野権現の信者であったから、

何とかこの土地にも熊野権現を祭って、

一日も早く帰京のかなうように

日夜祈参しようという相談が持ちあがった。

「どうじゃ、俊寛殿、貴方も、この計画に一枚お加わりなさい。

 都へ帰参の望みもかなうかも知れぬ」

二人が熱心にすすめても、しかし俊寛は、

ばかばかしそうに首を振るばかりであった。

康頼と少将は、

それならばと今度は二人だけでどこか熊野に似た場所を探そうと、

島のぐるりをあちこち歩き廻ってみた。

こんな島ではとてもみつからないのではないかという懸念を破って、

目の前に熊野の山にそっくりの場所をみつけた時は、

夢かと思うほど喜んだ。

丁度、紅葉の頃で、林は錦繍《きんしゅう》の装いに包まれていた。

雲かと思えるばかりにそびえ立つ峰々は、

淡い薄絹に包まれたように、ほのぼのとした色どりをみせている。

南をはるかに見下すと、果てしなく続く大洋が、

漫々と水をたたえ、北は峨々《がが》たる山岳から、

ほとばしる滝のしぶきの白さが、目にしみるようであった。

それはまのあたり、紀伊の熊野が、

そこに立ち現れたような錯覚さえ与えるほどよく似ていた。

「ここは本宮《ほんぐう》といたそう」

「それではこちらは新宮《しんぐう》がよかろう」

 あちこちの峰にも、いろいろ名前をつけて、

康頼を先登に、少将と二人毎日、

熊野詣でのまねごとをして真剣な祈りを捧げていた。

「南無権現金剛童子《なむごんげんこんごうどうじ》、

 ねがわくは憐れみをおかけ下さいまして、

 都へ帰し、妻子の顔を今一度びみせて下さいますように」

これが毎日続くと、着替えの浄衣もないから、

麻の衣を身につけ、沢の流れで水ごりをとりながら、

岩田川の清流にみたてるのである。

康頼は参詣の度ごとに、形通り祝詞《のりと》を捧げることにした。

御幣紙《ごへいがみ》など気のきいたものもないから、

花を手折って代用にしていた。

💐🎼Road to Dawn written by すもち

 

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【源氏物語664 第21帖 乙女19】内大臣は雲居の雁の恋愛に悩む。従弟どうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、東宮へと考えていたのでだ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。

内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。

非常に悪いことではないが、

従弟どうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、

野合の初めを世間の噂《うわさ》に上されることもつらい。

後宮の競争に女御をおさえた源氏が恨めしい上に、

また自分はその失敗に代えて

あの娘を東宮へと志していたのではないか、

僥倖《ぎょうこう》があるいはそこにあるかもしれぬと、

ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。

源氏と大臣との交情は睦《むつ》まじく行っているのであるが、

昔もその傾向があったように、

負けたくない心が断然強くて、

大臣はそのことが不快であるために朝まで安眠もできなかった。

大宮も様子を悟っておいでになるであろうが、

非常におかわいくお思いになる孫であるから勝手なことをさせて、

見ぬ顔をしておいでになるのであろうと女房たちの言っていた点で、

大臣は大宮を恨めしがっていた。

腹がたつとそれを内におさえることのできない性質で大臣はあった。

🌷🎼#Just a really bad feeling written by #稿屋 隆

 

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【平家物語43 第2巻 山門滅亡】〜The Tale of the Heike🥀

後白河法皇は、前々から、

三井寺の公顕《こうけん》僧正を師範として、

真言《しんごん》の秘法を学んでいられたが、

大日経《だいにちきょう》、金剛頂経《こんごうちょうきょう》、

蘇悉地経《そしつちきょう》の三部の伝授も済み、

九月四日、

三井寺で御灌頂《ごかんじょう》をお受けになることとなった。

これを聞いた山門の大衆はひどく憤慨して騒ぎが大きくなってきた。

「昔から、御灌頂ご受戒は当山で受けると決っているのに、

 先例を破って、三井寺でやるのなら、三井寺を焼き払ってしまうぞ」

といっておどかした。

 法皇は、山門を刺激しても無駄だからと、

三井寺での御灌頂は一応お取やめになったが、

元々そのおつもりであったから、四天王寺へお出でになり、

五智光院《ごちこういん》を建立、

亀井《かめい》の水を五瓶《ごびょう》の智水《ちすい》として

伝法灌頂《でんぽうかんじょう》をお遂げになったのである。

 

この事件はこれでけりがついたわけだが、

当時、山門では、学生《がくしょう》と堂衆が仲が悪く、

合戦に及ぶ事も何度かあり、その度に学生が負け、

何人かの学生が命を失い、

山門の滅亡も時間の問題かと思われてきた。

元来、学生とは山にこもって、止観、真言の両業を治め、

学問修行に務める者を指し、

堂衆とは、学生付きの稚児が法師になったのや、

雑役の僧とかであったが、次第に増長し、

大衆に立ち向うようになってきたのである。

これに手を焼いた大衆は、

彼らは、院主、師僧の命に背いて

勝手に合戦を企て迷惑いたしますので、速やかにご討伐下さい、

と朝廷や武家に願い出たのである。

 清盛は、堂衆討伐の院宣を受取ると、

紀伊国の住人 湯浅権守宗重《ゆあさのごんのかみむねしげ》以下

畿内の兵二千余人を大衆応援にくり出して、

堂衆に立ち向うことになった。

 堂衆は、近江国|三ヶ庄《さんがのしょう》から兵を集め、

早井坂《そういざか》に城を築いて待ちうけた。

 

九月二十日午前八時、大衆三千人、

官軍二千余騎の計五千人が早井坂に押し寄せたが、

大衆は大衆で、官軍に先陣をと願い、

官軍は大衆を先登にと思うので、

思うようにも戦うことができず、

そのうち、城内から石垣をはずして石を転がしたので、

大衆、官軍の死者は数知らず、又々戦は堂衆の勝利に終った。

堂衆に味方している者の中には、

諸国の窃盗、強盗、山賊、海賊といった命知らずの者が多く、

自分一人と思い切って戦うので強いのである。

 その後、山門の荒廃ぶりはひどかった。

山門に住む人は極めて稀で、真理の都といわれ、

上下の人々の尊敬と信仰を集めていた面影は、

一つとして残っていなかった。

 

今や、

三百年の歴史を誇った天台宗の法灯をかかげようとする者もなく、

昼夜の別なくたかれていた香の煙も絶えようとしている。

かつては青空にそびえたっていた堂舎もすっかり荒れはて、

金の仏像も雨にぬれる有様であった。

 こういう様相は日本ばかりでなく、

遠くは仏教の発祥地である天竺《てんじく》でも、

竹林精舎《ちくりんしょうじゃ》、

給孤独園《ぎっこどくおん》といった聖地も、

狼や狐のすみかと化し、

又、中国でも、天台山、五台山、白馬寺、玉泉寺といった

有名な仏寺が、住み手もないままに捨ておかれているらしい。

我が国の奈良の七大寺は荒れ果てているし、

昔は堂塔が軒を並べていた愛宕《あたご》、

高雄《たかお》も天狗《てんぐ》のすみかになってしまった。

こういう世の有様をみると、

あれ程、尊かった天台の仏法が亡びるのも無理はないかも知れないが、

それにしても惜しいことである。

 

人のいなくなった僧坊の柱に、

こんな歌がかきつけられていたという。

 

祈りこし我が立つ杣《そま》の引かえて

  人なき峰となりや果てなん

 

これは伝教《でんきょう》大師が、叡山創立の時、

阿耨多羅《あのくたら》、三藐《みゃく》、

三菩提《ぼだい》の仏達に祈った時、

「阿耨多羅、三藐、三菩提の仏達、わが立つ杣に冥加あらせ給え」

と祈られた時の言葉を思い出して詠んだものらしかった。

🥀🎼#RASHOMON written by #Heitaro Ashibe

 

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