そんなことをあまりこまごまと記述することは
読者にうるさいことであるから省略する。
毎日のようにこうした遊びをして暮らしている六条院の人たちであったから、
女房たちもまた幸福であった。
各夫人、姫君の間にも手紙の行きかいが多かった。
玉鬘《たまかずら》の姫君はあの踏歌《とうか》の日以来、
紫夫人の所へも手紙を書いて送るようになった。
人柄の深さ浅さはそれだけで判断されることでもないが、
落ち着いたなつかしい気持ちの人であることだけは認められて、
花散里《はなちるさと》からも、紫の女王からも玉鬘は好意を持たれた。
結婚を申し込む人は多かった。
いいかげんに自分だけでこのことはだれにと決めてしまうことのできないことであると
源氏は思っているのであった。
自身でも親の心になりきってしまうことが不可能な気がするのか、
実父に玉鬘の存在を報ぜようかという考えの起こることも間々あった。
源中将は親しい気持ちで玉鬘の居間の御簾《みす》に近く来て話すこともある。
玉鬘もそれに対して、
自身が直接話をしなければならないことになっているのを女は恥ずかしく思ったが、
兄弟ということになっているのであるからといって、
右近たちは睦《むつ》まじくすることを勧めていた。
中将はいつもまじめで、よけいな想像などはしないふうで、
姉と信じていた。
内大臣家の公達《きんだち》も中将に伴われてこちらの御殿へ、
下心をほのめかすふうに来たりもするのであるが、
そうした問題ではなしに、
なつかしい気持ちでほんとうの兄弟たちを玉鬘はながめていた。
実父に逢《あ》いたいと常に人知れず思うのであるが、
その素振りは見せずに、信頼しきった様子だけが源氏に見えるのも、
いっそう可憐《かれん》に、いっそう処女らしくこの人を思わせた。
似ているというのではないがやはり母の夕顔のよさがそのままこの人にもあって、
その上に才女らしいところが添っていた。
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