わざと五条橋を避け、
主従とも、七条河原へまぎれたのは、
相手の追尾《ついび》よりも、帰る先と、
身分を知られることの方が、
より恐《こわ》かったからにちがいない。
「いやどうも、若殿のお悪戯《わるさ》には、
驚きまいた。物にもよりけり、相手にもよるものを」
「やはり酒のなせる業《わざ》だったな」
「そんなお悪いご酒癖《しゅぐせ》とは、
ついぞ今日まで、右馬介も存じませんでしたが」
「はははは。犬も悪かった。
あの傲慢《ごうまん》な生き物が、
わしには、まざと、
鎌倉の執権殿そッくりに見えてきたのだ。そこが酒だな。
もう余りは過ごすまい」
「ここは闇の河原、ご放言も、まず大事ございませぬが、
そんなお胸の底のものは、
他所では、ゆめ、おつつしみなされませ。
先刻の小酒屋でのお振舞なども、
金輪際《こんりんざい》、ご口外は」
「右馬介は、いつまでわしを子供と思うてぞ。
知っている。心得ておるよ。
……ところで、除夜の鐘はまだか」
「はて。除夜はとうに過ぎておりまする。
やがて東山の空も白みましょうず」
「では、はや元日か。
さても、おもしろい年を越えたな。
今年は初春《はる》の夢占《ゆめうら》も
よからん気がするぞ。
なあ右馬介、もう寝るまもあるまい。
宿所へ戻って、若水《わかみず》でも汲むとしようよ」
やがて二人の姿が帰って行った先は、
北ノ六波羅の一|郭《かく》だった。
むかしは平家一門の車駕《しゃが》が
軒なみの甍《いらか》に映えた繁昌のあとである。
平家亡んで、
源 頼朝、実朝の幕府下にあったのもわずか二、三十年。
——以後、北条氏がとって代ってからは、
中興のひと北条|泰時《やすとき》の善政、
最明寺時頼《さいみょうじときより》の堅持、
また、元寇《げんこう》の国難にあたった
相模太郎《さがみたろう》時宗などの名主《めいしゅ》も出て、
とまれ、北条家七代の現執権高時の今にいたるまで、
南北の六波羅探題以下、評定衆《ひょうじょうしゅう》、
引付衆《ひきつけしゅう》、問注所《もんちゅうじょ》執事、
侍どころ所司《しょし》、検断所、越訴《えっそ》奉行などの
おびただしい鎌倉使臣が居留している
その政治的|聚落《じゅらく》も、
いつか百年余の月日をここにけみしていた。
夜はしらむ。
年輪をかさねた六波羅松の松の奏《かな》でに。
近くの八坂《やさか》ノ神の庭燎《にわび》、
祇園《ぎおん》の神鈴など、
やはり元朝は何やら森厳《しんげん》に明ける。
🎍🎼謹賀新年 written by MATSU
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