六波羅はもう夕《ゆうべ》の灯だった。
彼の姿を見ると、右馬介はすぐ侍部屋から走り出て迎えたが、
なにか冴えない容子ですぐ告げた。
「若殿。ついにここのご宿所を嗅《か》ぎつけてまいりましたぞ」
「嗅ぎつけて。……誰がだ」
「大晦日《おおつごもり》の小酒屋での」
「あ。あの犬家来どもか。それが」
「探題殿へ訴え出たため、
検断所から何やら御当家へきついお沙汰のようです」
「足利又太郎と知ったのか」
「そこのほどは分りませぬが、
上杉殿には、甥《おい》どのが立帰ったら、
すぐにも旅支度して、東《あずま》へ帰れとの仰せなので」
「伯父上は、奥か。
——いや旅支度など急がずともよい。
ちょうどおいでなれば、ほかにお願いもある。
さは案じるな、右馬介」
言いすてて、彼はすぐ奥へ入った。
「和殿《わどの》の六波羅泊りも、はや二十日余りだの。
洛中洛外の見物も、まずは、あらましというところか」
「はい。ここをわが家のように、わがままばかりして」
「なんの、他人行儀」
上杉憲房は以前からこの甥が好きらしい。
短所もよく知っているのである。
又太郎の方でもあまたな一族中でもほかならぬ人と、
甘えた恃《たの》みを抱いていた。
それはこの人が、
母の兄であるという親近感だけのものではなかった。
「——その上にもです。右馬介から聞けば、
私のつまらぬ悪戯《わるさ》から、御当家へまで、何か、
探題殿よりむずかしい御尋問の沙汰がありましたとか」
「御献上の犬へ、和殿が足を食らわせたとかいうあの事よな。
よいではないか。わしはおもしろいと思うておる。
ただし鎌倉の執権殿と、そなたの母者《ははじゃ》には、
べつな意味で、いずれへも聞かせられんがの。はははは」
まるで、おだてるような語調だが、すぐ声を落して。
「ま、先刻。右馬介へも申しておいたが、
とにかく、こたびの和殿の旅は公《おおやけ》ではない。
去年《こぞ》の暮、
足利の御厨《みくりや》から伊勢の神宮へ、
例年の貢《みつ》ぎあるを幸いに、
その上納物の列に和殿を加えて、
帰路をそっと、この都へ、立ち廻らせたものじゃった。
……いちどは都も見せておきたい、という親心と、
和殿のたってな宿願でな」
「はい」
「で。犬の沙汰などは些事《さじ》とするも、
万が一、さる密《ひそ》か事《ごと》が公となってはまずい。
あとの処理はこの憲房にまかせられ、
早うここを立つのが上策ではあるまいかの。
かたがた、都の内にも、もう見る所もあるまいし」
「されば、もとより仰せには従いますが、
ただもう一事、心残しがございますので」
「まだ、なんぞ?」
「うけたまわれば明三日、
帝《みかど》には朝覲《ちょうきん》の行幸《みゆき》
(天皇が父皇の御所へ拝賀にゆくこと)あらせられる由。
今日、冷泉どのをお訪ねした折、伺いましたが」
「そりゃ、相違ないが。して」
「いずれは御警固として、六波羅衆も、
お立ち迎えいたすことでございましょうず。
又太郎とて治部大輔《じぶのたゆう》、
無位の布衣《ほい》でもございませぬ。
立武者のうちに加えて、よそながらでも、
御盛儀を拝するわけにはゆきますまいか。
せっかく、都へ来あわせていた身の冥加《みょうが》に」
憲房は黙ってしまった。
甥の熱意に、聞き惚れていたわけではない。
当惑顔というものだった。
また、若さというものは、
分別者には出ない奇想を抱くものだと半ばあきれ顔にも見える。
しかし憲房にも、
その願望をかなえてやりたい気は多分にあった。こんどの旅にしても、
単なる都見物が当人の目的でもなし、
また肉親のすすめでもない。
いまの当主|貞氏《さだうじ》に継いで、
いつかは当然、又太郎高氏が、
足利一族の棟梁《とうりょう》に立つ日がくる。
——で、この惣領《そうりょう》の教養には、
欠くところないつもりだが、
ただ、なにぶん東国の一平野に育ったままではと、
それのみは彼の母すら不満としていたからだった。
どう説いたか、または憲房が、
すすんで一策を案じたのか。
ついに彼の望みはきかれ、よそながらでも、
明日の行幸を拝してからの帰国と話はきまった。
くれぐれ、その直後にはすばやく離京するようにと、
憲房は念を押した。
伯父甥、それらの相談で夜をおそくした。
又太郎はすぐには枕になずめなかった。
🌺🎼Lazy night(気だるい夜) written by 蒲鉾さちこ
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