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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【私本太平記8 第1巻 下天地蔵8完〈げてんじぞう〉】上杉憲房は以前からこの甥が好きらしい。又太郎の方でも甘えた頼みを抱いていた。それはこの人が、母の兄であるという親近感だけのものではなかった。

 

六波羅はもう夕《ゆうべ》の灯だった。

彼の姿を見ると、右馬介はすぐ侍部屋から走り出て迎えたが、

なにか冴えない容子ですぐ告げた。

「若殿。ついにここのご宿所を嗅《か》ぎつけてまいりましたぞ」

「嗅ぎつけて。……誰がだ」

「大晦日《おおつごもり》の小酒屋での」

「あ。あの犬家来どもか。それが」

「探題殿へ訴え出たため、

 検断所から何やら御当家へきついお沙汰のようです」

「足利又太郎と知ったのか」

「そこのほどは分りませぬが、

 上杉殿には、甥《おい》どのが立帰ったら、

 すぐにも旅支度して、東《あずま》へ帰れとの仰せなので」

「伯父上は、奥か。

 ——いや旅支度など急がずともよい。

 ちょうどおいでなれば、ほかにお願いもある。

 さは案じるな、右馬介」

言いすてて、彼はすぐ奥へ入った。

 

「和殿《わどの》の六波羅泊りも、はや二十日余りだの。

 洛中洛外の見物も、まずは、あらましというところか」

「はい。ここをわが家のように、わがままばかりして」

「なんの、他人行儀」

上杉憲房は以前からこの甥が好きらしい。

短所もよく知っているのである。

又太郎の方でもあまたな一族中でもほかならぬ人と、

甘えた恃《たの》みを抱いていた。

それはこの人が、

母の兄であるという親近感だけのものではなかった。

「——その上にもです。右馬介から聞けば、

 私のつまらぬ悪戯《わるさ》から、御当家へまで、何か、

 探題殿よりむずかしい御尋問の沙汰がありましたとか」

「御献上の犬へ、和殿が足を食らわせたとかいうあの事よな。

 よいではないか。わしはおもしろいと思うておる。

 ただし鎌倉の執権殿と、そなたの母者《ははじゃ》には、

 べつな意味で、いずれへも聞かせられんがの。はははは」

まるで、おだてるような語調だが、すぐ声を落して。

「ま、先刻。右馬介へも申しておいたが、

 とにかく、こたびの和殿の旅は公《おおやけ》ではない。

 去年《こぞ》の暮、

 足利の御厨《みくりや》から伊勢の神宮へ、

 例年の貢《みつ》ぎあるを幸いに、

 その上納物の列に和殿を加えて、

 帰路をそっと、この都へ、立ち廻らせたものじゃった。

  ……いちどは都も見せておきたい、という親心と、

 和殿のたってな宿願でな」

「はい」

「で。犬の沙汰などは些事《さじ》とするも、

 万が一、さる密《ひそ》か事《ごと》が公となってはまずい。

 あとの処理はこの憲房にまかせられ、

 早うここを立つのが上策ではあるまいかの。

 かたがた、都の内にも、もう見る所もあるまいし」

「されば、もとより仰せには従いますが、

 ただもう一事、心残しがございますので」

「まだ、なんぞ?」

「うけたまわれば明三日、

 帝《みかど》には朝覲《ちょうきん》の行幸《みゆき》

(天皇が父皇の御所へ拝賀にゆくこと)あらせられる由。

 今日、冷泉どのをお訪ねした折、伺いましたが」

「そりゃ、相違ないが。して」

「いずれは御警固として、六波羅衆も、

 お立ち迎えいたすことでございましょうず。

 又太郎とて治部大輔《じぶのたゆう》、

 無位の布衣《ほい》でもございませぬ。

 立武者のうちに加えて、よそながらでも、

 御盛儀を拝するわけにはゆきますまいか。

 せっかく、都へ来あわせていた身の冥加《みょうが》に」

 憲房は黙ってしまった。

甥の熱意に、聞き惚れていたわけではない。

当惑顔というものだった。

また、若さというものは、

分別者には出ない奇想を抱くものだと半ばあきれ顔にも見える。

 しかし憲房にも、

その願望をかなえてやりたい気は多分にあった。こんどの旅にしても、

単なる都見物が当人の目的でもなし、

また肉親のすすめでもない。

いまの当主|貞氏《さだうじ》に継いで、

いつかは当然、又太郎高氏が、

足利一族の棟梁《とうりょう》に立つ日がくる。

——で、この惣領《そうりょう》の教養には、

欠くところないつもりだが、

ただ、なにぶん東国の一平野に育ったままではと、

それのみは彼の母すら不満としていたからだった。

 どう説いたか、または憲房が、

すすんで一策を案じたのか。

ついに彼の望みはきかれ、よそながらでも、

明日の行幸を拝してからの帰国と話はきまった。

くれぐれ、その直後にはすばやく離京するようにと、

憲房は念を押した。

伯父甥、それらの相談で夜をおそくした。

又太郎はすぐには枕になずめなかった。

🌺🎼Lazy night(気だるい夜) written by 蒲鉾さちこ

 

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