今日は美しく作った薬玉《くすだま》などが諸方面から贈られて来る。
不幸だったころと今とがこんなことにも比較されて考えられる玉鬘は、
この上できるならば世間の悪名を負わずに済ませたいともっともなことを願っていた。
源氏は花散里《はなちるさと》夫人の所へも寄った。
「中将が左近衛府《さこんえふ》の勝負のあとで役所の者を
皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくのですね。
まだ明るいうちに来るでしょう。
私は何も麗々しく扱おうと思っていなかった姫君のことを、
若い親王がたなどもお聞きになって手紙などをよくよこしておいでになるのだから、
今日はいい機会のように思って、
東の御殿へ何人も出ておいでになることになるでしょうから、
そんなつもりで仕度《したく》をさせておいてください」
などと夫人に言っていた。
馬場殿はこちらの廊からながめるのに遠くはなかった。
「若い人たちは渡殿《わたどの》の戸をあけて見物するがよい。
このごろの左近衛府にはりっぱな下士官がいて、
ちょっとした殿上役人などは及ばない者がいますよ」
と源氏が言うのを聞いていて、
女房たちは今日の競技を見物のできることを喜んだ。
玉鬘のほうからも童女などが見物に来ていて、
廊の戸に御簾《みす》が青やかに懸《か》け渡され、
はなやかな紫ぼかしの几帳《きちょう》がずっと立てられた所を、
童女や下仕えの女房が行き来していた。
菖蒲《しょうぶ》重ねの袙《あこめ》、
薄藍《うすあい》色の上着を着たのが西の対の童女であった。
上品に物馴《ものな》れたのが四人来ていた。
下仕えは樗《おうち》の花の色のぼかしの裳に撫子《なでしこ》色の服、
若葉色の唐衣《からぎぬ》などを装うていた。
こちらの童女は濃紫《こむらさき》に撫子重ねの汗袗《かざみ》などで
おおような好みである。
双方とも相手に譲るものでないというふうに気どっているのがおもしろく見えた。
若い殿上役人などは見物席のほうに心の惹《ひ》かれるふうを見せていた。
午後二時に源氏は馬場殿へ出たのである。
予想したとおりに親王がたもおおぜい来ておいでになった。
左右の組み合わせなどに宮中の定例の競技と違って、
中少将が皆はいって、
こうした私の催しにかえって興味のあるものが見られるのであった。
女にはどうして勝負が決まるのかも知らぬことであったが、
舎人《とねり》までが艶《えん》な装束をして
一所懸命に競技に走りまわるのを見るのはおもしろかった。
南御殿の横まで端は及んでいたから、
紫夫人のほうでも若い女房などは見物していた。
「打毬楽《だきゅうらく》」「納蘇利《なそり》」などの奏楽がある上に、
右も左も勝つたびに歓呼に代えて楽声をあげた。
夜になって終わるころにはもう何もよく見えなかった。
左近衛府《さこんえふ》の舎人《とねり》たちへは等差をつけて
いろいろな纏頭《てんとう》が出された。
ずっと深更になってから来賓は退散したのである。
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