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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【🦢10分で聴く古事記 ⑴ 〈序文〉 過去の時代 古事記の企画】

🌸過去の時代🌸

——古事記の成立の前提として、本文に記されている過去のことについて、

まずわれわれが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、

續いて歴代の天皇がこれによつて徳教を正したことを述べる。

太の安萬侶によつて代表される古人が、

古事記の内容をどのように考えていたかがあきらかにされる。

古事記成立の思想的根據である。——

 

 わたくし安萬侶《やすまろ》が申しあげます。

 宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、

その氣性はまだ十分でございませんでしたので、

名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。

それからし天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、

タカミムスビの神、カムムスビの神が、

すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、

イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました。

そこでイザナギの命は、地下の世界を訪れ、またこの國に歸つて、

禊《みそぎ》をして日の神と月の神とが目を洗う時に現われ、

海水に浮き沈みして身を洗う時に、さまざまの神が出ました。

それ故に最古の時代は、くらくはるかのあちらですけれども、

前々からの教によつて國土を生み成した時のことを知り、

先の世の物しり人によつて神を生み人間を成り立たせた世のことがわかります。

 ほんとにそうです。

神々が賢木《さかき》の枝に玉をかけ、

スサノヲの命が玉を噛んで吐いたことがあつてから、

代々の天皇が續き、天照らす大神が劒をお噛みになり、

スサノヲの命が大蛇を斬つたことがあつてから、

多くの神々が繁殖しました。

神々が天のヤスの川の川原で會議をなされて、天下を平定し、

タケミカヅチノヲの命が、

出雲の國のイザサの小濱で大國主の神に領土を讓るようにと談判されてから

國内をしずかにされました。

これによつてニニギの命が、はじめてタカチホの峯にお下りになり、

神武天皇がヤマトの國におでましになりました。

この天皇のおでましに當つては、ばけものの熊が川から飛び出し、

天からはタカクラジによつて劒をお授けになり、

尾のある人が路をさえぎつたり、大きなカラスが吉野へ御案内したりしました。

人々が共に舞い、合圖の歌を聞いて敵を討ちました。

そこで崇神天皇は、夢で御承知になつて神樣を御崇敬になつたので、

賢明な天皇と申しあげますし、

仁徳天皇は、民の家の煙の少いのを見て人民を愛撫されましたので、

今でも道に達した天皇と申しあげます。

成務天皇は近江の高穴穗の宮で、國や郡の境を定め、地方を開發され、

允恭天皇は、大和の飛鳥の宮で、氏々の系統をお正しになりました。

それぞれ保守的であると進歩的であるとの相違があり、

華やかなのと質素なのとの違いはありますけれども、

いつの時代にあつても、古いことをしらべて、現代を指導し、

これによつて衰えた道徳を正し、

絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした。

 

🪻古事記の企画🪻

——前半は天武天皇の御事蹟と徳行について述べる。

後半、古來の伝えごとに關心をもたれ、

これをもつて國家經營の基本であるとなし、

これを正して稗田の阿禮をして誦み習わしめられたが、

まだ書物とするに至らなかつたことを記す。——

 

 飛鳥《あすか》の清原《きよみはら》の大宮において

天下をお治めになつた天武天皇の御世に至つては、

まず皇太子として帝位に昇るべき徳をお示しになりました。

しかしながら時がまだ熟しませんでしたので

吉野山に入つて衣服を代えてお隱れになり、

人と事と共に得て伊勢の國において堂々たる行動をなさいました。

お乘物が急におでましになつて山や川をおし渡り、

軍隊は雷のように威を振い部隊は電光のように進みました。

武器が威勢を現わして強い將士がたくさん立ちあがり、

赤い旗のもとに武器を光らせて敵兵は瓦のように破れました。

まだ十二日にならないうちに、惡氣が自然にしずまりました。

そこで軍に使つた牛馬を休ませ、

なごやかな心になつて大和の國に歸り、旗を卷き武器を納めて、

歌い舞つて都におとどまりになりました。

そうして酉の年の二月に、清原の大宮において、

天皇の位におつきになりました。

その道徳は黄帝以上であり、周の文王よりもまさつていました。

神器を手にして天下を統一し、

正しい系統を得て四方八方を併合されました。

陰と陽との二つの気性の正しいのに乘じ、

木火土金水の五つの性質の順序を整理し、

貴い道理を用意して世間の人々を指導し、

すぐれた道徳を施して國家を大きくされました。

そればかりではなく、

知識の海はひろびろとして古代の事を深くお探りになり、

心の鏡はぴかぴかとして前の時代の事をあきらかに御覽になりました。

 ここにおいて天武天皇の仰せられましたことは

「わたしが聞いていることは、諸家で持ち傳えている帝紀と本辞とが、

既に真実と違い多くの僞りを加えているということだ。

今の時代においてその間違いを正さなかつたら、

幾年もたたないうちに、その本旨が無くなるだろう。

これは国家組織の要素であり、天皇の指導の基本である。

そこで帝紀を記し定め、本辭をしらべて後世に傳えようと思う」

と仰せられました。

その時に稗田の阿禮という奉仕の人がありました。

年は二十八でしたが、人がらが賢く、目で見たものは口で読み伝え、

耳で聞いたものはよく記憶しました。

そこで阿禮に仰せ下されて、帝紀と本辭とを讀み習わしめられました。

しかしながら時勢が移り世が變わつて、まだ記し定めることをなさいませんでした。

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