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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語83 第4巻 源氏そろえ③】頼政の弁は熱を帯びる「宮が思し召し給うて令旨を下されるなら、雌伏する諸国の源氏は令旨を奉じて 夜を日についで京に馳せ参ずるは必定、平家滅亡に時日は要しますまい‥」

頼政の弁は熱をおびてきた。

あたかも諸国に兵を蓄えてひそむ源氏の網の目に、

平家がしぼられて行くような感さえ、

宮に与えたかも知れぬ。

頼政は語調を変えてつづけた。

「われら源家のもの、朝敵を武力で平らげ、

 宿望を達した点においては、平家に一向劣りませぬ。

 が、いまは宮もご覧の有様、源平は今や雲泥のへだたり、

 主従の間柄より劣るのが現状です。

 国にまいれば国司の家来、

 荘園では預所に使われている始末、

 京にあれば、

 公事《くじ》や雑事《ぞうじ》に追い立てられて、

 心の安まる暇《ひま》もない日を送っているのです。

 ひるがえって今の世を見ますなら、

 平家の威に服しているように見えるのは

 表面だけのことです。誰しもその心中、

 折あらば平家に一太刀というのが源家一統の悲願、

 この頼政も人後に落ちませぬ。

 もし宮が思し召し給うて令旨を下されるなら、

 雌伏する諸国の源氏は令旨を奉じて

 夜を日についで京に馳せ参ずるは必定、

 平家滅亡に時日は要しますまい。

 その儀なれば、この頼政、年こそ寄りましたが、

 あまたの若き児、孫もござります故、

 引具して第一番に御許に参じ奉る次第」

宮の胸中は千々に乱れた。

軽々しく決するには事は余りに重大である。

筆と笛を愛して、風雅の道に生を終るべきか、

それとも剣を選んで帝位を窺うべきか、

これはまた生か死かに通じよう。

しばし承引の返事もなく思いわずらう宮の胸中を

一条の光芒《こうぼう》が閃いた。

相人《そうにん》の上手《うま》いといわれた

少納言|惟長《これなが》のことである。

惟長は阿古丸《あこまる》大納言宗通の孫、

備後前司季通《びんごのさきのつかさすえみち》の子だが、

人相を卜《ぼく》すること当時並ぶ者なしといわれ、

人よんで相《そう》少納言と敬された公卿であったが、

相少納言は高倉宮を見て恐るる色もなく言下に答えた。

「皇位に即かせ給うべき御相《おんそう》、

 天下のことお諦め給うな」

今、宮の胸によみがえったこの言葉は、

源三位頼政の進言と相俟《あいま》って、強い啓示となった。

さては、

かくなすべしとの天照大神のお告げに違いなしと宮は信じた。

承引の言葉を与えた宮の顔は頼政の眼には蒼白に光って見えた。

 ことは隠密裡に運ばれた。

令旨を奉じて東国へ下る密使は

新宮《しんぐう》の十郎|義盛《よしもり》ときまった。

十郎義盛は蔵人に任ぜられ、行家と改名した。

行家は四月二十八日、ひそかに京を立った。

近江国より始めて、美濃、

尾張の源氏どもに令旨を伝達して廻るうちに、

五月十日には伊豆の北条、蛭《ひる》が島についた。

ここの流人《るにん》、

前右兵衛佐頼朝《さきのうひょうえのすけよりとも》に、

宮の令旨をとり出して奉った。

さらに頼朝の兄、

信田三郎先生義憲

《しだのさぶろうせんじょうよしのり》を尋ねて

信田《しだ》の浮島へ下り、

木曽冠者義仲も甥《おい》なので令旨を伝えようと、

行家は中山道へ赴いた。

🌹🎼交戦 written by ゆうり

 

 

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