このころ、熊野別当|湛増《たんぞう》は、
平家の重恩を受けていたが、
どこからこの令旨のことをもれ聞いたのか、
「新宮の十郎義盛は高倉宮の令旨を抱いて、
すでに謀叛を起さんとしている。
那智、新宮の者どもは、
定めし源氏の味方をするであろうが、
この湛増は平家のご恩を山より高く受けている身、
いかで謀叛にくみしえよう。
まず那智、新宮の者どもに矢一つ射かけて、
その後、都へことの詳細を報告することにしよう」
と、甲冑に身を固めた兵、
一千余人を引きつれて新宮の港へ向った。
新宮では、鳥居の法眼、高坊《たかぼう》の法眼、
武士には宇井、鈴木、水屋、亀甲《かめのこう》、
那智では執行法眼以下、
その勢合せて二千人余が陣を構えた。
来るべき嵐の前ぶれともいうべきこの戦は激しかった。
双方|鬨《とき》の声をあげ、矢を射合わせて、
合戦の幕は切られた。
源氏の陣にはかく射よ、平家の者にはこう射よと、
互にゆずらぬ弓から放たれる矢は絶え間なく飛び交い、
射手のあげる雄叫びは衰えることなく続き、
鏑矢《かぶらや》のうなりは鳴りひびいて、
死闘は三日間続いた。
しかし、さしも腕に覚えの法眼湛増も、
家の子郎党を数多く射たれ、わが身も傷を負って、
命からがら本宮熊野へ逃げ帰ったのであった。
🍂🎼Alecto written by ハシマミ
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