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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語85 第4巻 いたちの沙汰】鳥羽殿の中で鼬《いたち》がおびただしく走り騒いだ。常にないことである。法皇は何の兆《きざし》かと自ら占われて、近江守仲兼《おうみのかみなかかね》を御前に呼ばれた。

さて、後白河法皇は、

成親、俊寛のように自分も遠い国、

遥かな小島に流されるのではなかろうかと、

お考えになっていたが、

そういうこともないまま鳥羽殿に

治承四年までお暮しになっていた。

この年の五月十二日の正午《ひる》ごろ、

鳥羽殿の中で鼬《いたち》がおびただしく走り騒いだ。

常にないことである。

法皇は何の兆《きざし》かと自ら占われて、

近江守仲兼《おうみのかみなかかね》、

その時まだ

鶴蔵人《つるくらんど》とよばれていたのを御前に呼ばれた。

「この占いを持って安倍泰親《あべのやすちか》のもとへ行き、

 しかと考えさせて、吉凶の勘状を取って参れ」

仰せを受けた仲兼は、安倍泰親のもとへ急いだが、

折悪しく家におらず、

白川まで赴いて法皇の勅諚《ちょくじょう》を伝えた。

やがて卜占《ぼくせん》した泰親が記した勘状を懐にして

鳥羽殿へ急いだ仲兼は、

御所の前ではたと立止った。

警固の武士が厳重に門を固めている。

何んと頼んでも門を通さない。

御所の勝手知っている仲兼は土塀《どべい》を乗りこえ、

大床《おおゆか》の下を這《は》って、

法皇の御座まで進み、

御座の切板の隙間から泰親の勘状を差しあげたのであった。

法皇がこれを開いてご覧になると、

「この三日のうちに、お喜びのこと、並びにお嘆きのこと」

と記してある。法皇は、

「この憂き身に喜びのことありとは結構だが、

 嘆きとは何か。この上また、いかなる辛い目にあうのか」

と仰せられた。

 さて翌五月十三日、前右大将宗盛、

父清盛入道の所に行き、法皇のことを度重ねて説いたので、

清盛もようやく思い直し、

法皇を鳥羽殿から出し奉って都へ移し、

八条|烏丸《からすまる》にある美福門院を法皇の御所とした。

この三日のうちの喜び、という泰親の占いは、

これを指したのである。

こういう情勢のなかで、

新宮の合戦に敗れた熊野別当湛増は、

急飛脚をもって高倉宮謀叛のことを都へ知らせたのである。

前右大将宗盛は顔色を変えて、

このとき福原の別荘にあった入道にこれを伝えた。

入道相国は一瞬疑うように宗盛の顔をみつめて沈黙したが、

忽ち顔を朱に染めて激怒した。

「それがまことなら、

 高倉宮を直ちに搦《から》め取って、

 土佐の畑《はた》へ流してしまえ」

と、こう命じた。

この衝にあたったのは公卿で二条大納言 実房《さねふさ》、

職事《しきじ》は頭弁光雅《とうのべんみつまさ》である。

武士には源大夫判官兼綱《げんだいふのはんがんかねつな》と

出羽判官光長の二人。

この源大夫判官というのは、源三位頼政の次男である。

この人を謀叛鎮圧の使者の中に加えたというのは、

平家が頼政の陰謀画策を

まだ察知していないということを意味する。

高倉宮逮捕の一行は、

甲冑に身を固めた兵三百余騎を引きつれて、

月明らかな道を宮の御所へ向った。

🥀🎼orchestral battle written by H

 

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