その頃、宋から、
名医といわれる医師がやってきて京都に滞在していた。
福原にいた清盛は、使者を遣わして、
この名医の診察をうけるようにとすすめさせた。
重盛は、使いの越中守盛俊《えっちゅうのかみもりとし》を
病室に招き、蒲団《ふとん》の上に起きなおって、
「わざわざ、
医療のためのお使い有難く思っておりますと、
お伝えしてくれ。
それから、もう一ついうことがある。
それは醍醐天皇のことだ。醍醐天皇は、
あれ程の賢主であったけれども、
異国の人相見を都にお引き入れになったのは、
大へんなお心得ちがいだったといわれている。
まして、重盛ごとき凡人が、
異国の医師を自分の屋敷の内に入れることは
一門の恥ではなかろうか?
漢の高祖が
淮南《わいなん》の黥布《げいふ》を討ったとき、
流れ矢で傷を受けた后 呂太后《りょたいこう》が
良医を迎えて診察させると、
医師は五十斤の金を下されば癒してみせますといった。
高祖はその時何といったか?
戦場で傷を受けるのは、命運のつきたしるしじゃ。
命は即ち天にあり、いかな名医でも治療はできぬ、
といって、
金を惜しむようにうけとられては残念じゃ、
といって金五十斤を医師に与えて、診療を断わった。
この話は未だに私の耳に残り肝に銘じている。
重盛も、天運の力で高位高官に列しておる。
もし私の運命尽きずば、
療治を加えずとも助かることは確実である。
かの釈迦仏さえ、
跋提河《ばつだいが》のあたりで入滅したのも、
これすべて定められた命運が、
医療ではどうにもならぬことを身をもって示されたのだ。
もしどんな病でも癒るものならば、
かの名医|耆婆《ぎば》がついていて何故、
釈尊が入滅することがあったろう。
又、もし宋国の医師に依て生命が長らえたとあっては、
我が国医術の面目も丸つぶれになるし、
効き目がなければ、面謁して意味はないであろう。
更に、わが国の大臣の一人として、
異国の客人に診療を乞うとは国の恥でもある。
この重盛、
死んでも国の恥を思う心は失わないつもりであると、
父上にお伝えしてくれ」
盛俊は、清盛に事の次第を言上した。
すると清盛も重盛の志には感じ入ったらしく、
「これほどに国の恥を思う大臣は、
未だ前例を知らぬのう。
まして末世末代にあるべきはずはなし、
この日本には不相応な立派な大臣じゃから、
今度はきっと死なれるにちがいない」
といって急ぎ都にのぼった。
重盛は、七月二十八日、出家した。
法名は浄蓮《じょうれん》。
やがて八月一日、ついに不帰の客となった。
享年四十三歳。
まだまだ働き盛りの年頃である。
「入道相国が無茶なことをしても、
この人のおかげで、
何とか無事におさまってきたのに、
これから先きはどうなることやら」
京の人たちは、みんな、
ひそひそとつぶやき合ったという。
都の上も下も、
一様に重盛の逝去を悲しんでいる中で、
ひとりほくそ笑んでいたのは、
前右大将宗盛の身内の人たちである。
「いよいよ、うちの殿様の天下じゃ」
と彼らは内心の喜びをかくせなかった。
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