これだけの美貌《びぼう》が備わっていても、
田舎風のやぼな様子が添っていたなら、
どんなにそれを玉の瑕《きず》だと惜しまれることであろう、
よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものであると、
右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。
母の夕顔夫人はただ若々しくおおような
柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった。
これは容姿に気高さのあるすぐれた姫君と見えるのであった。
右近はこれによって九州という所がよい所であるように思われたが、
また昔の朋輩《ほうばい》が皆 不恰好な女になっているのであったから
不思議でならなかった。
日が暮れると御堂に行き、
翌日はまた坊に帰って念誦《ねんず》に時を過ごした。
秋風が渓《たに》の底から吹き上がって来て
肌寒《はださむ》さの覚えられる所であったから、
物寂しい人たちの心はまして悲しかった。
姫君は右近の話から、
人並みの運も持たないように悲観をしていた自分も、
父の家の繁栄と、
低い身分の人を母として生まれた子供たちさえも皆愛されて
幸福になっていることがわかった上は、
もう救われる時に達したのであるかもしれないという気になった。
帰る時は双方でよく宿所を尋ね合って、
またわからなくなってはと互いに十分の警戒をしながら別れた。
右近の自宅も六条院に近い所であったから、
九州の人の宿とも遠くないことを知って、
その人たちは力づけられた気がした。
💐🎼#空の鏡 written by #すもち
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