空蝉《うつせみ》の尼君の住んでいる所へ源氏は来た。
そこの主人《あるじ》らしくここは住まずに、
目だたぬ一室にいて、住居《すまい》の大部分を仏間に取った空蝉が
仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。
経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽《あか》の器具などにも
空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。
青鈍《あおにび》色の几帳《きちょう》の感じのよい蔭《かげ》にすわっている尼君の
袖口の色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。
源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島(松が浦島|今日《けふ》ぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って
神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。
昔から何という悲しい二人でしょう。
しかしこうして逢《あ》ってお話しするくらいのことは永
久にできるだけの因縁があるのですね」
などと言った。
空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、
私は前生に御縁の深かったことを思っております」
と言う。
「あなたを虐《しいた》げた過去の追憶に苦しんで、
おりおり今でも仏にお詫《わ》びを言わねばならないのが私です。
しかしおわかりになりましたか、
ほかの男は私のように純なものではないということを、
あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
継息子《ままむすこ》のよこしまな恋に苦しめられたことを、
源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことで
だれの過去の罪も清算されるはずでございます。
これ以上の報いがどこにございましょう」
と言って、空蝉《うつせみ》は泣いてしまった。
昔よりも深味のできた品のよい所が見え、
過去の恋人で現在の尼君として
別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、
恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。
いろいろな話をしながらも、
せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと
末摘花の住居《すまい》のほうがながめられた。
こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。
だれの所も洩《も》らさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。
ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、
その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。
皆ほどほどに源氏は愛していた。
女に対して驕慢《きょうまん》な心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、
末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、
それらの人々は慰められて年月を送っていた。
今年《ことし》の正月には男踏歌《おとことうか》があった。
御所からすぐに朱雀《すざく》院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。
道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。
月が明るくさして
薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。
舞や音楽の上手《じょうず》な若い役人の多いころで、
笛なども巧みに吹かれた。
ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。
他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、
南の御殿の左右の対や渡殿《わたどの》を席に借りて皆来ていた。
東の住居《すまい》の西の対の玉鬘《たまかずら》の姫君は南の寝殿に来て、
こちらの姫君に面会した。
紫夫人も同じ所にいて几帳《きちょう》だけを隔てて玉鬘と話した。
踏歌の組は朱雀院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、
時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、
饗応《きょうおう》などは簡単に済ますのでないかと思っていたが、
普通以上の歓待を六条院では受けることになった。
光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。
松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭に
もう折り目もなくなった青色の上着に白襲《しろがさね》を下にしただけの服装に、
見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、
所がらかおもしろくて、
命も延びるほどに観衆は思った。
源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。
ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、
やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、
「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、
若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。
各夫人の見物席には、
いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口が出ていて、
曙《あけぼの》の空に春の花の錦《にしき》を
霞《かすみ》が長く一段だけ見せているようで、
これがまた見ものであった。
舞い人は、「高巾子《こうこじ》」という脱俗的な曲を演じたり、
自由な寿詞《じゅし》に滑稽味《こっけいみ》を取り混ぜたりもして、
音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、
慣例の纏頭《てんとう》である綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。
夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。
源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
「中将の声は弁《べん》の少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、
今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。
昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、
芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。
私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、
私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、
やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、
芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。
どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。
万春楽《ばんしゅんがく》を口ずさみにしていた源氏は、
「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、
音楽の合奏をして遊びたい気がする。
私の家《うち》だけの後宴《ごえん》があるべきだ」
と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出して塵《ちり》を払わせたり、
ゆるんだ絃《げん》を締めさせたりなどしていた。
夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。
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