🍁藤原基俊 ふじわらもととし(75番)千載集 雑・1023 🍂
契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
〜お約束してくださったよもぎ草の露のような ありがたい言葉を頼みにしておりましたのに、 今年の秋もむなしく過ぎていくようです。
平安末期の歌人、歌学者。右大臣俊家の子。
「万葉集」に次点(訓点)をつけた一人。
古歌を重んじた保守的な作風で、源俊頼と並び称された。
家集に「基俊集」があり、「新撰朗詠集」などの編著もある。
(1060年頃~1142年没)
望月の歌🌕の藤原道長ふじわらみちながのひ孫🌟
父は右大臣 藤原俊家ふじわらとしいえつまり名門の藤原北家出身✨
でも、ちょいと気難しいところがあったのか、出世に関しては不遇だったそうです。
歌人として、源俊頼みなもととしより殿と並び称されました📚
藤原北家とは?↓の記事にとてもわかりやすく書かれています。ぜひご覧ください🌷
北家ほっけとは?〜
藤原氏の四家(南家・北家・式家・京家)の一つ。
藤原不比等の第二子房前(ふささき)を祖とし、良房などが出て、四家のうち最も栄えた。
※大鏡(12C前)五「その武智麿をば南家となづけ、二郎房前をば北家となづけ」
💠少納言チャンネルは、聴く古典動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷
美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚《あかだな》に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
「あすこの家に女がおりますよ。あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」
こんなことを従者が言った。
崖《がけ》を少しおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。