右大将が高官の典型のようなまじめな風采《ふうさい》をしながら、
恋の山には孔子も倒れるという諺《ことわざ》を
ほんとうにして見せようとするふうな熱意のある手紙を書いているのも
源氏にはおもしろく思われた。
そうした幾通かの中に、
薄青色の唐紙の薫物《たきもの》の香を深く染《し》ませたのを、
細く小さく結んだのがあった。あけて見るときれいな字で、
思ふとも君は知らじな湧《わ》き返り岩|洩《も》る水に色し見えねば
と書いてある。書き方に近代的なはかなさが見せてあるのである。
「これはどんな人のですか」
と源氏は聞くのであるが、はかばかしい返辞を玉鬘はしない。
源氏は右近を呼び出した。
「こんな手紙をよこす人たちに細心な注意を払ってね、分類をしてね、
返事をすべき人には返事をさせなければいけない。
近ごろの男が暴力で恋を遂げるというようなことも、
必ずしも男の咎《とが》ばかりではない。
それは私自身も体験したことで、あまりに冷淡だ、無情だ、恨めしいと、
そんな気持ちが積もり積もって、無法をしてしまうのだ。
またそれが身分の低い女であれば、
失敬な態度だと思っては罪を犯すことにもなるのだ。
たいしたことでなしに、花や蝶につけての返事はして、
この程度の交際を持続させておくことも
相手を熱心にさせる効果のあるものだからね。
あるいはまたそれなりに双方で忘れてしまうことになっても
少しもさしつかえのないことだ。
けれどまた誠意のない出来心で手紙をよこしたような場合に
すぐ返事を書いてやるのもよろしくない。
あとで批難されても弁解のしようがない。
全体女というものは、慎み深くしていずに、
動いた感情をありのままに相手へ見せることをしては、
結果は必ずよくないものだが、
宮や大将が謙遜《けんそん》な態度をとって、
いいかげんな一時的な恋をされる訳はないのだからね。
いつも返事をせずに自尊心を持ち過ぎた女のように思わせるのも、
この人にはふさわしくないことだからね。
またそれ以下の人たちのことは、忍耐力の強さ、月日の長さ短さによって、
それ相応に好意的な返事をするのだね」
と源氏が言っている間、
顔を横向けていた玉鬘《たまかずら》の側面が美しく見えた。
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