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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【私本太平記42 第1巻 藤夜叉⑧】「小殿、何がなお形見の物でも給わりませ。 いつの日かの、よすがに」もう高氏は慌てていた。彼女の手へ渡したのは、旅立つ日 母から賜わった地蔵菩薩の守り袋だった。

 責められているかの如く、

 ——なにを泣く。

 高氏は刺々《とげとげ》と心でののしる。

 あッちへ行け。

 消えてなくなれ。

しかし、

それはじぶんの慚愧《ざんき》へ向って言ったことばでもある。

彼の過失が、

そのまま藤夜叉にも同等な過失だったと言いきれるほど、

むごい彼でもなかったし、

口を藉《か》るべき酒気もいまは失せていた。

殊には、遊女でもない小むすめ。

ただ寒々と、誰へでもない腹がたつばかりだった。

「藤夜叉」

 怺《こら》えかねて、

「もうよせ、泣くのは」

 そばへ寄って、かかえ起した。

どこもかも触れるところが濡れている重さだった。

「わしがわるかった。……たのむ、このことはたれにもいうなよ」

「……し、しりません」

「告げる気か」

「い、いいえ」

「では早く寝屋へ戻れ。人が来るといけない」

「いやです」

 藤夜叉は盲目的に彼の袖と襟とを、双手でつかんだ。

指には女の爪があった。

 当惑と、満足と、ふたつの相違した感情の絡《から》まりが、

高氏のなかでまた心の位置を迷わせた。

「なぜ嫌《いや》というのか。こうしていれば、すぐ夜が明けよう。

 仲間たちのおる寝屋へ戻らぬわけにもゆくまいが」

「でも……」と、

藤夜叉はその眸に、小むすめの必死を燃やした。

「——ここでこそ、こうしてお話もできまする。

 お別れしたらさいご、またいつお目にかかれるやら知れません。

 まして、いやしい田楽女の身分では」

「いや、そなたさえ人に洩らさねば」

「仰せなら、ゆめ、洩らしはしませんけれど、そしたら?」

「いつかは会おう。かならずいつかは、そちたちの仲間ぐるみ、

足利の屋形へ招いてやる」

「え。ほんとでございますか。

 それを愉しみに、儚《はかな》い夢と思わず、

 待っていてもよろしゅうございますか」

「おう待つがいい」

 高氏は本気でいった。

 やがては自身も一個の領主、それくらいなことはと、

当然口へ出たのであろう。という常識もだが、

彼自体その“いつの日か”を望んだことの方が

もっと大きく心を占《し》めていた。

すでにこのまま離したくもない気もちがどこかで切々としていたのだ。

「さいぜん生国は越前とか申したが」

「それも、敦賀ノ津とやら聞いているばかりなのです」

「では花夜叉は、親ではないのか」

「育ての親でございまする。

 じぶんの僻《ひが》みでは、人買いの手などに売られて、

 いまの親御に育てられて来たのでしょうか。

 もの心ついたときは、もう田楽衆のなかで芸を仕込まれておりました」

「とはまた、不運なやつ」

 宵の舞台姿を連想して、

彼はひとしお不愍《ふびん》をおぼえた。

奴隷《どれい》の売り買いは古くからいくども禁止されては来たが、

人買いは社会にたくさん生きている。

足利の領下でも、わけて飢饉年《ききんどし》などには、

痩せ馬なみに市で売られる子が野菜籠の中や陽溜《ひだま》りの辻に、

群れとなって曝されるのはめずらしいことではなかった。

「小殿。……もし小殿。急にわたしは心配になってきました」

「なにが」

「いま申したような身の上とお知りになって、

藤夜叉がお厭《いや》になって来たのではございませんか」

「なんの、あわれとこそ思え……」言いかけて、

ふと。「おっ、たれか来た」

 と、突っ立った。

 藤夜叉も共に。——だが、なお取りすがって。

「小殿、何がなお形見の物でも給わりませ。

 いつの日かの、よすがに」

「これを持て」

 もう高氏は慌てていた。

 彼女の手へ渡したのは、

旅に立つ日、母から賜わった地蔵菩薩の守り袋だった。

藤夜叉はそれを持つと、梅をくぐッて、

梅ばやしの向うへ走った。

白いものが、そのあとを片々として舞い、

どこかで夜の鶯が物驚きをして啼いた。

 高氏は、ゆうべの寝所をさがし当てて深々と眠った。

かつてない幸福そうな寝顔にみえる。

その気配を窺《うかが》って、隣室の右馬介も、

やがて安心したらしい鼾《いびき》となった。

🌹🎼#Side written by #yuhei komatsu

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