「……そなた、下野国の御厨にいたことはないか」
「いいえ」
「御厨ノ牧にいたことも」
「ありません」
「では、生国は」
「越前とだけ聞かされておりますが」
「越前」
と、息をひいて。
「じゃあ違っていたか。
余りにも、そなたが牧長の娘とよう似ていたゆえに。
……いや、それが悪いっ。藤夜叉、それも、おまえのせいだ」
いきなり彼は藤夜叉を仆して下におし伏せた。
悲鳴にちかい驚きと本能的な手むかいが
高氏をなお火にさせたことは争えない。
しかし彼女の爪が、彼の頬を血に染まさせたとは見えなかった。
ただ朧な中の本能の狂いを、一瞬《いっとき》、
梅が散り騒いだだけであった。
虚脱したものみたいである。
——たとえば、下も見ずに絶壁をよじ上って、
いただきの岩角にとりすがると同時に、
満身の精気も一瞬《いっとき》にどこかへすうと脱け去ってしまったような。
いや、それも当らない。
高氏のいまは、
われから火山の火口にとび入ってのた打ち廻る気力もない
地底の亡者の影に似ていた。
もちろん酔いもどこかへ費消され尽している。
そして理性の帰った心の谷に、罪の意識めいた悔いだけが、
硫黄の煙るみたいにもうもうと煤《いぶ》ッてくる。
しまった、と思わずにいられなかった。
ここは領下の牧とは違う。
あいても、領主の子息とただ畏怖している牧長の小娘でもない。
さらには、場所が場所だ。
もし知れたら。
あの皮肉な佐々木道誉が、
どんな嘲笑《ちょうしょう》をふくむだろうか。
ひとにも茶話にするにちがいない。
足利又太郎高氏ともある者がよ……と、
彼の頬の黒子のいやらしさまで、気にかかる。
のみならず、かかる私行の些事《さじ》といえ、
彼に尻ッ尾をつかまれては、未来へかけて、禍いとならぬかぎりもない。
それに忍び上洛の帰路という身でもあった。
その憚《はばか》りも超えている。
「……なんたる、おれか。なんたる過失を」
彼は頭をかかえたまま、
いつまでも、梅の根がたに、うずくまっていた。
かつての日、疎石禅師の喝棒《かつぼう》に打ちひしがれた時のように。
地にはもう一人、藤夜叉の姿が、
まだ自分が見つからぬような身なりで俯っ伏していた。
といっても、
男によって体に与えられた“うつつの喪失《そうしつ》”は
逆に彼女を一瞬《いっとき》のまにべつな女として
生れかわらせていたともいえよう。
その——苦痛を交《ま》じえて甘い欣《うれ》しい歓喜の火ばなは、
なお生理の余波を微かに体じゅうへのこしていた。
だが徐々に、官能の弁が閉じられて、
つねのわが身に返るかと意識された途中で、
彼女は卒然と、すすり泣きをゆり起した。
それはたとえようもない寂寥《せきりょう》を二人のあいだへ呼ぶように、
シュク、シュク……と途絶えのない嗚咽《おえつ》だった。
🌺🎼#tristitia written by #のる
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