女は、高氏の曲もない飲みぶりに、
その杯を愛惜《いとし》んで、
「小殿、おながれを」
と媚《こ》びて、ねだッた。
そして、彼の浮かない横顔と舞台の方とを等分に見つつ。
「小殿も田楽はお好きなのでございましょう」
「む。きらいでもない」
「さして、お好きでも?」
「ま、半々か」
「ホホホホ。お気むずかしそうな。
今宵は、そんな御不興顔はせぬものでございますよ」
「なぜ」
「わたくしたちの召されたのも、花夜叉のお城興行も、
みな、小殿への御馳走とか」
「そうだったな。もすこし、笑うてでもいなければ悪かったか」
「おとりもちの至らぬせいと、後でわたくしたちが、
お叱りをうけまする」
「それでは不愍《ふびん》。
おまえたちは土地《ところ》の遊女であろうがの。
わしも笑いたいのだ。笑わせてくれい」
「お門違い。それは舞台の方へおねだりなされませ」
高氏はあやされている子供に似ていた。
が、まもなく、彼もすべてをわすれ顔に、
心から今夜の田楽饗応に溶け入った風である。
頬には少し酔いものぼってくる。
右馬介は桟敷に見えない。家中一同の中なのだろう。
折々、高氏の姿へ、くばられて来る注視は、
やや離れた座席にある佐々木道誉と土岐左近の眼であった。
演技の番数《ばんかず》は、佳境らしい。
いまも、喝采の波につれ、どっと笑いのしぶきが立つ。
弓の的場を変えた俄舞台は、よしず囲いに、よしず廂。
背景《うしろ》においた屏風と両わきの袖幕とが、
装置といえばいえもする。
夜空には、たくさんな星。
またここにも、無数の吊り灯《あかり》やら芝居篝が、
ソヨ風のたび油煙《すみ》を吹いたり火をハゼたりした。
そのため、舞台はのべつ明暗のまたたきをしていたが、
しかし、田楽役者の玉虫色に光る衣裳も、田楽女の白粉顔も、
かえって夢幻を鮮《あざ》らかにし、
われひと共にひとしい時代の抱く哀歓と、
それが求める救いの滑稽とを、
一種の妖気のように醸《かも》していた。
——東《あづま》より
きのふ来たれば
女《め》も持たず
この着たる紺の狩襖《かりあを》と
娘、換へ給《た》べ
——楽器には絃楽器はなく、
簓《ささら》、腰鼓《くれつづみ》、フリ鼓、
銅子《どびょうし》といったような類。演《だ》し物によっては笛もつかう。
おどけを主とした舞踊である。
🌺🎼#妖かしの夜 written by# ゆうり
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