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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語113 第5巻 都うつり②】「この地の形相をみまするに、左青竜、右白虎、前朱雀《すざく》、後玄武の四神の配置にふさわしき土地、帝都の地としてまことに適当と存じます」という奏上があった

法皇が世を厭われたのは当然であろう。

あれほど強かった政治への執心も

今は全く薄れ消えたかに思われた。

「今の世の政治にかかわろうとは露も思わぬ。

 ただ霊山名刹を廻って修行し、心慰めたいものである」

と側近にもらされていた。

 さる安元以来、多くの大臣公卿を殺し、

あるいは流し、法皇を押しこめたり、

第二皇子高倉宮を討ちとるなど、

悪逆非道の行ないを尽している平家の残された悪行は、

都うつりだけである。それでこの挙に出たものであろうか、

などと人々はいい交していた。

 もっとも都うつりには多くの先例がある。

神武天皇以来代々の帝王が都をうつすことは

三十度にも四十度にもなる。

桓武天皇の御代、延暦《えんりゃく》三年十月三日に、

奈良の都、春日《かすが》の里から山城国長岡にうつり、

その十年の正月に大納言藤原|小黒麻呂《おぐろまろ》、

参議|左大弁紀古作美《さだいべんきのこさみ》、

大僧都玄慶《だいそうずげんけい》らを

この国の葛野郡宇多村《かどのこおりうだのむら》に遣わしたところ、

「この地の形相をみまするに、

左《さ》青竜《しょうりゅう》、右《う》白虎《びゃっこ》、

前《ぜん》朱雀《すざく》、

後《ご》玄武《げんむ》の四神の配置にふさわしき土地、

帝都の地としてまことに適当と存じます」

という奏上があった。

そこで天皇は愛宕郡《おたぎのこおり》にある賀茂大明神にこれを告げ、

延暦十三年十一月二十一日、長岡の都からこの京へうつられ、

以後帝王三十二代、星霜三百八十余歳を数えたのである。

これ以来代々の天皇は、

諸所に都をうつされたが何れもこの京都ほどの地はなかった。

🌺🎼#花散ル風 written by #蒲鉾さちこ 

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