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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

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【平家物語114 第5巻 都うつり③】桓武天皇は、土で八尺の人形を造らせ、鉄の鎧兜を着せ、弓矢をこれに持たせて東山の峰に西向きに立てたまま地に埋めた。この都は永久に続くべしという天皇のご祈念であった。

京都を殊の外 気に入られた桓武天皇は、

大臣公卿、諸国の才人などに命じて、

土で八尺の人形をつくり、鉄の鎧兜を着せ、

弓矢をこれに持たせて東山の峰に西向きに立てたまま地に埋めた。

この都は永久に続くべしという桓武天皇のご祈念であった。

「末代になるともこの地から都うつすなかれ、

 うつさば守護人となりてこれを罪せよ」

という意味であった。

それ故天下に大事の起る時、常にこの塚が鳴動するのである。

平ら安き都と書いた平安城は京都のことであるが、

平家の先祖桓武天皇が自ら定められ、

愛された土地から都をうつすとは、情ないことである。

 先年嵯峨天皇のとき、

先帝の平城天皇が都を他国へ移そうとされたことがあったが、

公卿や諸国の人民こぞって反対したので沙汰止みとなったのであった。

いま入道相国は大した理由もなく、

臣下の身分でこれを敢て行なったのである。

 京都はすばらしい都であった。

王城守護の鎮守はこの地を安泰に守り、

京の南北には霊験あらたかな寺々 甍《いらか》を並べて壮観を極めた。

五畿七道へ通じる八達の路は開けて交通の要衝であり、

百姓万民心を安んじて生業にはげむことのできる土地であった。

 いまその面影はない。

軒をつらねた家々は傾き、

たまに訪れる人は

勝手のちがう様子に道に迷って途方にくれるばかりである。

都うつりの時、新都に住家をつくるため、

壊せる家は壊して材木にして筏《いかだ》を組み、

賀茂川、桂川に浮べて運び、

あるいは持てる家財を運んだあと叩き壊して川に打ち捨てたのであった。

 かくて花の都も、いまや荒れた田舎である。

ふるき都の内裏の柱にこれを惜しむ歌二首が記されてあった。

百年《ももとせ》を四かえりまでに過ぎ来にし

  おたぎの里の荒れや果てなん

 

咲き出ずるはなの都をふり棄てて

  風ふくはらの末ぞあやうき

💐🎼#唐紅、枯葉散りて by #蒲鉾さちこ

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