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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語109 第4巻 鵺〈ぬえ〉①】頼政は「宮中に武士をおくのは、反逆の者を退け、 勅に背く者を追討するのを本務とする。 目に見えぬ化性の退治とはまだ聞き及ばぬこと」と不服であったが参内した。

源三位入道頼政は、

摂津守頼光から五代目の子孫三河守頼綱の孫、

兵庫頭《ひょうごのかみ》仲政の子である。

保元の合戦のとき朝廷側につきさきがけしたが別に恩賞はなく、

平治の乱においても親類などを捨てて合戦に力をつくしたが、

みるべき恩賞は与えられなかった。

大内守護として長年勤めていたが、

昇殿は許されなかったのである。年すでに老いた時、

一首の歌を詠んだ。

 

『人知れぬ大内山の山守は

  木《こ》がくれてのみ月を見るかな』

 

この歌が目にとまり昇殿を許されたうえに、

正下四位を与えられたが、

頼政はさらに三位の位にのぞみをかけた。

 

『昇るべきたよりなき身は木《こ》の下《した》に

  しいを拾いて世をわたるかな』

 

そして念願の三位に進み、

出家したので三位入道頼政といわれたが、

時に七十五歳である。

 この頼政には特に有名な手柄があった。

仁平の頃、近衛院が位にあった時のことである。

天皇は毎夜うなされ、おびえ続けていた。

高僧貴僧が命じられて大法秘法を徹宵行ったが

その効験は見えない。

天皇は毎夜およそ午前二時頃、

東三条の森の方角から黒雲が、

ひとむら湧き起り恐しい早さで飛来して御殿の上を蔽うと、

ひどく苦しまれるのであった。

 高僧たちの修法はさっぱりと験《しるし》がなく、

天皇の毎夜の苦しみは

一向になくならぬのにあわてた公卿たちは、

深刻な顔で会議を開いた。

席上、昔の話が出て、

堀川天皇が夜なよなおびえられたことがあったが、

時の将軍源義家朝臣は南殿に宿直《とのい》しており、

御悩みの刻限にいたるや弓弦を三度響きわたらせると、

高声で、

「前陸奥守《さきのむつのかみ》源義家」

と名乗ると、

弓勢に劣らぬ裂帛《れっぱく》の気勢は聞く者の身が総毛立ち、

天皇の苦しみも俄かに軽くなったという、

との意見があった。

しからばこの先例によるべしと、

武士の警固が行なわれることになった。

源平より選ばれた中に頼政も入っていたが、

この時まだ兵庫頭であった。

「宮中に武士をおくのは、反逆のものを退け、

 勅に背くものを追討するのを本務とする。

 目に見えぬ化性の退治とはまだ聞き及ばぬこと」

と極めて不服そうであったが、

勅命とあらばいたし方なく参内した。

 頼政はかねて信頼をよせている郎党、

遠江国の住人|猪早太《いのはやた》ただ一人を連れた。

この男に鷹の羽の矢を持たせ、

自分は二重《ふたえ》の狩衣、

山鳥の尾ではいだ鋒矢《とがりや》を二本、

重籐《しげとう》の弓を持った。

この鋒矢二本というのは、

雅頼弁《がらいのべん》という公卿が

変化《へんげ》のものを退治るのは頼政であろうといったので、

もし一本で妖魔を射損じたなら、

残る矢であの雅頼弁の細首を射抜こうと決意したものであった。

🌉🎼百鬼夜行 written by のる

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