google.com, pub-8944455872984568, DIRECT, f08c47fec0942fa0

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語80 第4巻 還御〈かんぎょ〉】「九重の都を出でられ、八重の潮路をかきわけて、ここまでお出でになられた陛下の御心は かたじけない極みである」 この神前に捧げられた言葉には、上皇を始め諸臣みな感激した。

高倉上皇が厳島にお着きになったのは、

三月二十六日、

清盛入道相国が最も寵愛した内侍の家が仮御所となり、

なか二日の滞在中には、

読経の会と舞楽がにぎやかに行なわれた。

満願の日、

導師三井寺の公顕《こうげん》僧正は高座にのぼり、

鐘を鳴らして表白を声高らかに読みあげていわく、

「九重の都を出でられ、八重の潮路をかきわけて、

 ここまでお出でになられた陛下の御心は

 かたじけない極みである」

この神前に捧げられた言葉には、

上皇を始め諸臣みな感激した。

 そのあとで上皇は

末社にいたるまで隈なく御幸になり、

また厳島の座主尊永を

法眼《ほうげん》の位に上らせるなど、

神主たちの位階昇進を行なわれたが、

入道相国の心もこれでやわらぐかと思われた。

 上皇は、二十九日、

美しく飾られた船で還御されようとしたが、

途中、烈風にあふられて海上が荒れたので、

厳島のうちの蟻《あり》の浦まで漕ぎもどられた。

波風静まったその日の夜おそく再び船を出され、

備後国|敷名《しきな》の港に着かれた。

波路を心も晴れやかに京へ向う上皇の一行は、

四月二日備前の児島、

五日には播磨《はりま》の国山田に着かれ、

ここから御輿で陸路福原へ、

途中、鳥羽殿には寄られず、

まっすぐ公卿殿上人お迎えの中を

清盛邸へ無事に帰られたのであった。

 四月二十二日、

新帝安徳天皇の即位式が行なわれたが、

先年の火災で焼失した大極殿が使えないので、

紫宸殿《ししんでん》が評議の末、

式場にあてられた。

即位式には平家一門こぞり参列したが、

重盛の息子たちは喪中なのでひきこもっていた。

 蔵人 衛門権佐定長

《えもんのごんのすけさだなが》が、

とどこおりなくめでたく終った新帝の即位式の有様を、

和紙十枚ばかりに書いて、

清盛の奥方、八条の二位にうやうやしく奉ると、

奥方は、

これをくり返しよまれては何時迄も

幸福そうな笑《えみ》を顔に浮べていた。

🌊🎼#海底探索 written by#Heitaro Ashibe

 

少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com

🪷聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画。チャンネル登録お願いします🪷