「ああ、よいここちだった。
右馬介、よほど長く眠ったのか、わしは」
又太郎は伸びをした。
その手が、ついでに、曲がっていた烏帽子を直した。
やっと現《うつつ》に返った眼でもある。
その眼もとには、人をひき込まずにいない何かがあった。
魔魅《まみ》の眸にもみえるし、
慈悲心の深い人ならではの物にもみえる。
どっちとも、ふと判別のつきかねる理由は、
ほかの部分の、
いかつい容貌《かおだち》のせいかもしれない。
骨太なわりには、痩肉《そうにく》の方である。
顎《あぎと》のつよい線や、
長すぎるほど長い眉毛だの、大きな鼻梁《びりょう》が、
どこか暢《のん》びり間のびしているところなど、
これは西の顔でもなし、京顔でもない。
坂東者《ばんどうもの》に多い特有な骨柄《こつがら》なのだ。
それに、幼いときの疱瘡《ほうそう》のあとが、
浅黒い地肌に妙な白ッぽさを沈めており、
これも女子には好かれそうもない損の一つになっている。
けれど今、従者の一色右馬介にゆり起されて、
無言でニッと見せた羞恥《はにか》み笑いや、
大どかな風貌の魅力さといったらない。
きっとこの郎党は、この若いおあるじのためには、
どんな献身も誓っているのではないかと思われる。
とにかく、醜男《ぶおとこ》の方ではあるが
由緒《よし》ある家の子息ではあろう。
佩《は》いている太刀なども、
こんな小酒屋の客には見ぬ見事な物と、
亭主もさっきから、眼をみはっていた様子だった。
「されば、お眠りはつかのまでしたが、
昼、六波羅を出たばかり。
さだめし、上杉殿のお内でも、この深夜まで、
どこを何して歩いてぞと、お案じのことに相違ございませぬで」
右馬介の分別顔を、
一方は屈託もなく笑い消した。
「ばかな、そんな心配をだれがするものかよ。
こたびの上京こそは、せっかく、よい見学として、
諸所、くまなく見て帰れとは、
国元の父上のみならず、六波羅の伯父上も、
くどいほど申されたことだ。
まして、右馬介も付いておることと」
「その儀は、とく心得ておりまするが、
程なく元旦にもなりますことゆえ」
「そうだ、除夜だなあ。
ことしの除夜の鐘を、都で聞こうとは思わなんだぞ。
明くれば、又太郎も十八歳。
右馬介、おまえとは幾つちがいだっけな」
「ちょうど、十歳上に相成ります」
「十の違いか。わしがその年になるまでには、
きっともう一度、都へ上《のぼ》る日があろうぞ。
鎌倉のありかたと言い、眼に見た都のさまと言い、
これがこのままの世でいるわけはない。
おやじ、もう一|壺《こ》、酒を持ってまいれ」
「や。そのように、お過ごしなされては」
「なぜか今夜は、腸《はらわた》がわしへ歌うのだ。
飲むべき夜なれと、腸が申す。
まあ、そういうなよ右馬介」
分別は、こちら以上にあるお人である。
きかないご気性である点も、日頃の練武修学、
すべてにおいてなのだから、
かくなってはお守役の右馬介も、
黙って控えてしまうしかない。
と、そのとき、
まるで木枯しでも吹きこんで来たように、
この小酒屋の軒ばから、
「オオ。ここはまだ開《あ》いていたぞ。
酒だ、酒だ。おやじ、それに何ぞ温い物でもないか」
と、凄まじい人々の吐く白い息が、
どやどやと、土間いっぱいに込み入って来た。
たちどころに、
土間は小酒屋らしい混雑と雑言《ぞうごん》で、埋まった。
🍶🎼a dancer under the night sky written by のる
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