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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語107 第4巻 若宮御出家②】高倉宮の若宮は髪を落し、法師の姿となって仁和寺御室の弟子になった。後に東寺《とうじ》の一の長者安井宮の大僧正道尊といわれた人は、実にこの若宮であった。

 一方、平家首脳の間では、

高倉宮の子供たちが八方手をのばして追求された。

宮には腹違いの子供が多かったのであるが、

その中に八条女院に仕えていた伊予守盛教の娘で

三位局《さんみのつぼね》と呼ばれた女房には、

今年七歳の若宮と五歳になる姫宮がいた。

清盛入道の弟|池《いけの》中納言|頼盛《よりもり》は

使いとして八条女院の御所を訪ね女院に言上した。

「姫宮については何も申しませぬ。

 若宮を当方に引渡して頂きとう存じます」

「今はもう遅うございます。

 若宮お召出しという噂がここにも伝わった暁方、

 乳母たちが浅はかな考えから若宮を連れ出してしまいました。

 この御所にはおりませんし、

 私もどこへかくれているのか知りませぬ」

と女院は答えた。

もちろんこれはかくまうがための方便であったが、

頼盛が仕方なくこの旨を入道に伝えると、

清盛は声を荒らげていった。

「お前も何んという人の好い奴だ。

 若宮があの御所にいなくてどこにいる。

 あそこにいないというなら武士どもをやって、

 も一度探し出してまいれ」

 こうした中で若宮は女院に悪びれるところなく申しあげた。

「これほどの大事になりました以上、

 もはや逃げかくれいたしますることはできませぬ。

 どうか私を六波羅へさし出して下さいませ」

 若宮の子供とは思えぬ毅然《きぜん》とした言葉に

女院は涙を新たにした。

「七つ八つの年頃の子といえばまだ聞き分けのない頃、

 自分のための騒ぎと知ってこんなことをいうのを聞くのは悲しいこと、

 六年も七年もの間、わが子のように慈しみ育ててきたのに、

 今このような辛い目に会おうとは」

と泣かれて、六波羅へ若宮を渡す気持にはなられない。

そこへ再び頼盛が来て申しあげたので、

女院もとうとう、あきらめられた。

 その当日、若宮の母三位局は、

朝早くからわが子のそばにつききっていた。

泣くなく着物を着せ、髪を何遍も丁寧に梳《くしけず》る、

わが子の手にふれ、肩にふれ、

顔を両手でおさえて離さなかった。

六波羅からの車に若宮は乗せられた。

女院をはじめ、局の女房、

童女にいたるまで涙とともに見送った。

若宮の車が六波羅につき車から降されたとき、

前右大将宗盛がその姿を見つめた。

しばらくして父清盛に宗盛はいった。

「前世の宿縁とも申しましょうか、

 若宮を一目いま見まして宗盛胸が痛みました。

 余りに痛わしく存じます。

 若宮の命を助けても大きな影響はもはやありますまい。

 どうかこの宗盛に若宮の命をおあずけ下さいませぬか」

 この言葉に清盛は考えこんだ。

恐らく彼は宗盛のいう前世の宿縁など問題にしていなかった。

彼の頭は高倉宮謀叛と頼政一味の蹶起《けっき》、

この事件が影響を及ぼす政情の推移、

あるいは諸国の治安の紊乱、

一代にして築いたおのが地位など考えぬいたであろう。

宗盛には父の前に坐っている時間が、

おそろしく長く思われた。

やおら清盛はこまねいた腕を解くとそっけなくいった。

「それならさっさと出家させてしまえ」

 宗盛からこの知らせを受けた女院は、

喜ぶには余りにも大きな衝撃をうけていたのか、

顔色を変えたまま、

「何の異存がありましょう、ただ早くして下されませ、ただ早く」

とくり返すばかりであった。

 こうして若宮は髪を落し、

法師の姿となって仁和寺《にんなじ》御室《おむろ》の弟子になった。

後に東寺《とうじ》の一の長者安井宮の大僧正道尊といわれた人は、

実にこの若宮であった。

🪷🎼 Farewell song written by 稿屋 

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