中宮 御産《ごさん》の際、
ご祈祷に精進した者たちには上から下までもれなく恩賞があって、
その労をねぎらった。
中宮の体も、ようやく元通りになったので、
中宮はふたたび六波羅から内裏に帰られた。
中宮に皇子が生れることは、
中宮の入内当初からの清盛夫婦の夢であった。
「いつか、皇子が誕生し、御位におつきになったそのときは、
外祖父、外祖母じゃ、
どうか早く皇子がお生れにならんものかのう」
この願がかなって、
目出度く男子出生したのも
日頃信心深い厳島の賜物かも知れなかった。
平家の厳島信仰の始りは、清盛が安芸守時代にさかのぼる。
まだ鳥羽院の御時、高野の大塔の修理を仰せ付けられ、
六年がかりでそれを完成した。
清盛が、大塔を拝み、奥の院に行くと、
どこからともなく、眉の白い俗人離れのした老僧が現れ、
暫く話をするうちにこんなことを言った。
「この山は、
真言密教の聖地として連綿として続いておる名山じゃが、
安芸の厳島、越前の気比《けひ》の宮も共に、
この山には由緒のある所じゃ、気比の宮は栄えているが、
厳島はみるかげもなく荒れ果てておる。
次には是非奏聞して、厳島を修理されるがよい、
すれば、
貴方は天下に肩を並ぶ者のない身分になること間違いなしじゃ」
そのまま、
すたすた歩きだした老僧を不思議な事をいう人かと思って、
跡をつけていくと、忽ち見えなくなってしまった。
「さては、弘法大師であったのか」
いよいよ不思議な念に捉われた清盛は、
高野山の金堂に曼陀羅《まんだら》を書いて贈った。
西曼陀羅は、
常明《じょうみょう》法印という絵師にかかせたが、
東曼陀羅は自分でかき、何のつもりか大日如来の宝冠は、
自分の首の血で書いたといわれる。
都に帰った清盛は、事の次第を早速、報告した。
鳥羽院もひどく感動され、
清盛の任期を延長して厳島の修理に当らせた。
鳥居を立て替え、社を新築し、百八十間の廻廊も造った。
修理が済んで、清盛が厳島に参籠していると、
ある晩、御宝殿の戸が開いて美しい少年が現れ、
「大明神の使いで参った者ですが、
この剣をもって全国を鎮め、
朝廷をお守りするようにとのお告げです」
と銀の蛭巻《ひるまき》した小長刀を枕辺に置いて、
姿を消した。
気がついてみるとそれは夢であったが、
枕元をみると確かに、その小長刀が置かれていた。
その後再び大明神のご託宣があり、
「いつぞや、
老僧を以て言わせたことを忘れるではないぞ、
但し御身に悪行あらば栄華は一代限り」
というのであった。
以来、
厳島は平家一門の護り神の様にされているのである。
💐🎼千里眼 written by ゆうり
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