ところで中宮の御産は、陣痛は続くのだが、難産である。
なかなかご誕生にならない。
つきそっていた入道清盛や奥方は、
ただ胸に手を押しあてたまま、おろおろするばかりで、
頼りにならぬことおびただしい。
人びとが、うかがいを立てても、
「どうかうまくやってくれ、
よいように急いでやってくれ」
と声をふるわすばかりであった。
戦場なら、こんなみじめな思いはしないと、
後程人に話したが、
人の親清盛の狼狽《ろうばい》ぶりは想像にあまりあるものがある。
このご難産に、殿中でお祈りする者は、
房覚《ぼうかく》、性運《しょううん》の両僧正、
俊尭《しゅんぎょう》法印、豪禅《ごうぜん》、
実全《じつぜん》両僧都などで、
何れも僧伽《そうが》の句などをくり返し読み秘法をつくした。
中でも法皇は、この時、
熊野御参詣の前でご精進中であったのだが、
わざわざ中宮の帳の近くに坐られて、
千手経を声高く読経されたのであった。
「たとえ、どんな悪霊でも、
この老法師がここにいる以上近づくはずはない。
いまとりついている物の怪は、
何れも皇恩で人となったのだから、
物の怪に報恩の心はなくとも、
祟《たた》りをなすことが出来ようか、
悪霊共よ、速かに退散せよ」
といわれると、
今まで荒れ狂っていた物の怪もしばしはしずまったのである。
さらに、
「女人の難産にも、
心をこめて大悲呪《だいひじゅ》を称えれば、
鬼神退散、安産疑いなし」
と、水晶の数珠を取りだして押しもむと、
中宮はご安産であったばかりでなく、
産れたのは皇子であった。
「ご安産です。皇子ご誕生ですぞ」
とみすの中から躍るように出て来て、
喜び声で高らかに告げたのは
中宮亮重衡《ちゅうぐうのすけしげひら》卿、
法皇を初め、関白太政大臣以下の公卿たち、
下々《しもじも》にいたるまで、どっと歓びの声をあげた。
歓声は御所から門外に、そして京の街々を包んだ。
清盛は嬉しさのあまり、
声を立てて泣いたという。
小松大臣《こまつのおとど》は、
金銭を九十九文、皇子の枕元において心から祈った。
「天を父とし、地を母と定め給え。
ご寿命は不老長寿の仙人のように保ち給え。
御心には天照大神入らせ給え」
そして古式に従って桑の弓に蓬《よもぎ》の矢をつがえ、
天地四方を射たのであった。
🪷🎼繰り返す、穏やかな日々の中で written by 蒲鉾さちこ
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