斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は
母君から委託された方であるから、
自分としてはぜひこの方を
推薦しなければならないという源氏の態度であった。
御母后も内親王でいられたあとへ、
またも王氏の后《きさき》の立つことは
一方に偏したことであると批難を加える者もあった。
そうした人たちは弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》が
だれよりも早く後宮《こうきゅう》にはいった人であるから、
その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。
双方に味方が現われて、
だれもどうなることかと不安がっていた。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と申した方は
今は式部卿《しきぶきょう》になっておいでになって、
当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、
予定どおりに後宮へはいって、
斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、
他人でない濃い御親戚関係もあることであって、
母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、
そのほうを助ける人たちは言って、
三女御の競争になったのであるが、
結局|梅壺《うめつぼ》の前斎宮が后におなりになった。
女王の幸運に世間は驚いた。
源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。
そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。
この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。
学問を深くした人であるから
韻塞《いんふた》ぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。
🌸🎼Ancient Travelers written by のる
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