google.com, pub-8944455872984568, DIRECT, f08c47fec0942fa0

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【平家物語39 阿古屋の松②〈あこやのまつ〉)〜The Tale of the Heike🌊

福原に着いたのは、六月二十二日である。

一応 備中国《びっちゅうのくに》に流罪と決まり、

瀬尾太郎兼康が警備の任をおびてゆくことになった。

兼康は、とかく、

あとあと宰相から恨まれるのがこわいから、

かゆいところに手の届くような労《いたわ》り方で、

少将の心を何とか慰めようとするのであるが、

少将の方は一日として楽しまぬのである。

彼の心には、

父成親の行方だけが気にかかっていたのである。

その成親は、備前《びぜん》の児島が港に近いという理由で、

備前、備中の境、

有木《ありき》の別所《べっしょ》という山寺に移された。

この有木の別所と、少将のいる備中の瀬尾《せのお》とは、

僅か五十町足らずという目と鼻のあいだであった。

 

人づてにそのことを聞いた少将は、

どうにもなつかしくなって、ある日兼康に、

「父上のいられる有木の別所まで、何里程のところなのじゃ」

とたずねた。

本当の事をいってはかえって辛いだろうと思った兼康は、

「さあ、片道、十二、三日もかかりましょうか?」

と空とぼけて答えた。

 少将は、

「日本は昔、三十三カ国であったのを、

 後に六十六カ国に分けたのじゃ、

 備前、備中も元は一つの国であった。

 東国の出羽《でわ》、陸奥《むつ》もその伝で

 二つに分れたと聞いている、

 昔、実方《さねかた》中将が、奥州へ流され、

 この国の名所、

 阿古屋《あこや》の松を見ようと尋ね歩いたが見つからなかった。

 たまたま一人の老人に出逢って、

 当国の名所阿古屋の松を知っているか、と尋ねると、

 それは大方、出羽国でしょう、という返事に、

 国の名所が忘れられるとは世も末じゃ、

 といって嘆くと老人は、

「貴方様は、

 陸奥《みちのく》の 阿古屋の松に 木《こ》がくれて

 いずべき月の 出でもやらぬか

 という歌で、当国の名所をお尋ねになるのでしょうが、こ

 れは実は、両国が一つであった時詠まれた歌で、

 今では阿古屋の松は出羽国にござりましょう」

といったそうだ、実方中将はその後出羽国で、

松をご覧になったという。

 

「ところで貴方は、有木の別所まで、

 十二、三日かかるというが、

 筑紫《つくし》の大宰府《だざいふ》から都まで、

 十五日でくるものを、いくら遠いといっても備前、

 備中の間が十二、三日かかるわけがない、

 せいぜい三日というところであろう。

 それをあのように出たらめを教えるのは、

 所詮《しょせん》、父の在所を私に教えたくないためなのでしょう?」

少将は二度とこの事を口にしなかった。

🌕🎼寂しい月夜 written by ゆうり

 

少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷ぜひご覧ください🌿

https://syounagon.jimdosite.com

 

🪷聴く古典文学 少納言チャンネルは、聴く古典文学動画。チャンネル登録お願いします🪷