今年源氏は五節《ごせち》の舞い姫を一人出すのであった。
たいした仕度《したく》というものではないが、
付き添いの童女の衣裳《いしょう》などを
日が近づくので用意させていた。
東の院の花散里《はなちるさと》夫人は、
舞い姫の宮中へはいる夜の、
付き添いの女房たちの装束を引き受けて手もとで作らせていた。
二条の院では
全体にわたっての一通りの衣裳が作られているのである。
中宮からも、童女、下仕えの女房幾人かの衣服を、
華奢《かしゃ》に作って御寄贈になった。
去年は諒闇《りょうあん》で五節のなかったせいもあって、
だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、
五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では
派手《はで》が競われているという評判であった。
按察使《あぜち》大納言の娘、
左衛門督《さえもんのかみ》の娘などが出ることになっていた。
それから殿上役人の中から一人出す舞い姫には、
今は近江守《おうみのかみ》で左中弁を兼ねている
良清朝臣《よしきよあそん》の娘がなることになっていた。
今年の舞い姫はそのまま続いて
女官に採用されることになっていたから、
愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。
源氏は自身から出す舞い姫に、
摂津守兼左京大夫である惟光《これみつ》の娘で
美人だと言われている子を選んだのである。
惟光は迷惑がっていたが、
「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、
君の大事な娘を出したっても恥ではない」
と責められて、困ってしまった惟光は、
女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、
主命に従うことにしたのである。
💐🎼異国の踊り written by ゆうり
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