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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【源氏物語646 第21帖 乙女1】源氏は、禊の日に手紙を藤の花につけて朝顔の姫君に届ける。源氏は何かにつけ 宮家に物質的に御補助をする。


春になって女院の御一周年が過ぎ、

官人が喪服を脱いだのに続いて四月の更衣期になったから、

はなやかな空気の満ち渡った初夏であったが、

前斎院はなお寂しくつれづれな日を送っておいでになった。

庭の桂《かつら》の木の若葉がたてるにおいにも若い女房たちは、

宮の御在職中の加茂の院の祭りのころのことを恋しがった。

源氏から、神の御禊《みそぎ》の日も

ただ今はお静かでしょうという挨拶を持った使いが来た。

 

今日こんなことを思いました。

かけきやは 川瀬の波も たちかへり

君が御禊《みそぎ》の 藤《ふぢ》のやつれを

紫の紙に書いた正しい立文《たてぶみ》の形の手紙が

藤の花の枝につけられてあった。

斎院はものの少し身にしむような日でおありになって、

返事をお書きになった。

藤衣 きしは昨日《きのふ》と 思ふまに

今日《けふ》はみそぎの 瀬にかはる世を

はかないものと思われます。

 

とだけ書かれてある手紙を、例のように源氏は熱心にながめていた。

斎院が父宮の喪の済んでお服直しをされる時も、

源氏からたいした贈り物が来た。

女王《にょおう》はそれをお受けになることは

醜いことであるというように言っておいでになったが、

求婚者としての言葉が添えられていることであれば辞退もできるが、

これまで長い間何かの場合に公然の進物を送り続けた源氏であって、

親切からすることであるから返却のしようがないように言って

女房たちは困っていた。

女五《にょご》の宮《みや》のほうへもこんなふうにして

終物質的に御補助をする源氏であったから、

宮は深く源氏を愛しておいでになった。

🌸🎼#はなむけ written by#Heitaro Ashibe

 

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【平家物語 第2巻🪷】平家物語23 座主流し〈ざすながし〉〜平家物語49 蘇武〈そぶ〉

治承元年五月五日、叡山の座主、明雲《めいうん》大僧正は、

宮中の出入りを差しとめられた。

同時に、天皇平安の祈りを捧げるために預っていた、

如意輪観音《にょいりんかんのん》の本尊も取上げられた。

更に検非違使庁《けびいしのちょう》を通じて、

神輿を振り上げて、

都へ押し寄せた張本人を摘発せよという命令もきていた。‥

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【平家物語23 第2巻 座主流し①〈ざすながし〉】〜The Tale of the Heike🪷


治承元年五月五日、叡山の座主〈ざす〉、明雲《めいうん》大僧正は、

宮中の出入りを差しとめられた。

同時に、天皇平安の祈りを捧げるために預っていた、

如意輪観音《にょいりんかんのん》の本尊も取上げられた。

更に検非違使庁《けびいしのちょう》を通じて、

神輿を振り上げて、

都へ押し寄せた張本人を摘発せよという命令もきていた。

 こうした、矢次ぎ早の朝廷の強硬策は、

先の京の大火事に原因と理由があったろうが、

もう一つには、とかく、法皇の信任厚い西光《さいこう》法師が、

あることないこと、山門の不利になることばかりを、

後白河法皇に告げ口したためであった。

そのため、法皇は、ひどく山門に対する心証を害されているようだった。

唯ならぬ事態の変化を読み取って明雲は、

早やばやと、天台座主《てんだいざす》を辞任してしまった。

変って、鳥羽天皇第七皇子、覚快《かくかい》法親王が、

天台座主となった。

 

その同じ日に明雲は、前座主の職を取上げられた上に、

監視までつけられ、水さえもろくろくのまされず、

まるで罪人扱いであった。

十八日には、この明雲の処遇問題に就ての会議が開かれた。

 誰もが、法皇の前をはばかって、

これという意見を出す者がなかったが、

一人、左大弁宰相《さだいべんのさいしょう》の

藤原長方《ながかた》がひざをのり出し、

「法律家の意見に依れば、死罪を一等減じて、

 流罪ということになっている様でございますが、

 とにかく、前座主、明雲大僧正は、

 他の者とは事変り、その学問の深さ、

 天台、真言両宗を会得した当代稀なる名僧で、

 行ないは清浄、戒律を破った事のない徳高い人です。

 その上、我々にとっては、お経の師でもあり、

 高倉帝には法華経を授けられた師でもあります。

 これ程の人を流罪にする事は、

 決して穏便な事ではござりません。

 何卒、

 もう一度お考え直しになった方が良いのではありますまいか」

と、苦々しげな顔を一層硬ばらせている法皇の前で、

恐るる色もなく述べたてた。

一座の者も誰一人反対する者はなく、

我も我もと賛成したのだが、

しかし、法皇のお憤《いきどお》りは、

寵臣から焚きつけられているだけに根深いものがあり、

誰一人法皇の心を柔らげる事ができなかった。

清盛も、

何とか、法皇の気持をとりなそうと参内したけれど、

風邪《かぜ》気だからと体のいい玄関払いを喰らう始末で、

この一件だけは、徹頭徹尾、法皇の無理が通ってしまった。

 

ここに前代未聞の座主の流罪が決ったのである。

明雲大僧正は、僧籍をとりあげられ、俗人の扱いをうけ、

大納言大夫 藤井松枝《ふじいのまつえだ》という俗名をつけられ、

伊豆国《いずのくに》へ流される事になった。

🪷🎼#深淵の穹窿 written by #K’z Art Storage

 

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↑上の動画で一箇所 座主〈ざす〉を読み間違いしています。すみません🙇

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