
——以下八代は、帝紀の部分だけで、本辭を含んでいない。この項など、帝紀の典型的な例と見られる。——
#カムヌナカハミミ の命(綏靖天皇《すいせいてんのう》)、
大和の國の葛城《かずらき》の高岡の宮においでになつて天下をお治め遊ばされました。
この天皇、シキの縣主《あがたぬし》の祖先の#カハマタヒメ と結婚してお生みになつた御子は#シキツヒコタマデミ の命お一方です。
天皇は御年四十五歳、御陵は#衝田 《つきだ》の岡にあります。
🌼安寧《あんねい》天皇
#シキツヒコタマデミ の命(#安寧天皇 )、
大和の片鹽《かたしお》の#浮穴 《うきあな》の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は#カハマタヒメ の兄の縣主《あがたぬし》ハエの女の#アクトヒメ と結婚してお生みになつた御子は、
#トコネツヒコイロネ の命・#オホヤマトヒコスキトモ の命・#シキツヒコ の命のお三方です。
この天皇の御子たち合わせてお三方の中、オホヤマト彦スキトモの命は、天下をお治めになりました。
次にシキツ彦の命の御子がお二方あつて、お一方の子孫は、#伊賀 の#須知 の #稲置 《いなき》・#那婆理 《なはり》の稻置・三野の稻置の祖先です。
お一方の御子ワチツミの命は淡路の御井《みい》の宮においでになり、姫宮がお二方おありになりました。
その姉君《あねぎみ》は#ハヘイロネ 、またの名は#オホヤマトクニアレ 姫の命、妹君は#ハヘイロド です。この天皇の御年四十九歳、御陵は#畝傍山 のミホトにあります。
🌼懿徳《いとく》天皇
#オホヤマトヒコスキトモ の命(#懿徳天皇 )、大和の輕《かる》の#境岡 《さかいおか》の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇はシキの縣主《あがたぬし》の祖先#フトマワカヒメ の命、またの名は#イヒヒヒメ の命と結婚してお生みになつた御子は、
#ミマツヒコカエシネ の命と#タギシヒコ の命とお二方です。
このミマツ彦カヱシネの命は天下をお治めなさいました。
次にタギシ彦の命は、#血沼 《ちぬ》の別《わけ》・多遲麻《たじま》の竹の別・#葦井 《あしい》の稻置《いなき》の祖先です。
天皇は御年四十五歳、御陵は畝傍山の#マナゴ谷 の上にあります。
🌼孝昭天皇
#ミマツヒコカエシネ の命(#孝昭天皇 )、大和の#葛城 の掖上《わきがみ》の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は#尾張 《おわり》の連の祖先の#オキツヨソ の妹#ヨソタホヒメ の命と結婚してお生みになつた御子は#アメオシタラシヒコ の命と#オホヤマトタラシヒコクニオシビト の命とお二方です。
このオホヤマトタラシ彦クニオシビトの命は天下をお治めなさいました。
兄のアメオシタラシ彦の命は春日の臣・大宅〈おおやけ〉の臣・粟田の臣・小野の臣・柿本の臣・壹比韋《いちひい》の臣・大坂の臣・阿那の臣・多紀《たき》の臣・羽栗の臣・知多の臣・牟耶《むざ》の臣・都怒《つの》山の臣・伊勢の飯高の君・壹師の君・近つ淡海の國の造の祖先です。
天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多《はかた》山の上にあります。
🌼孝安天皇
#オホヤマトタラシヒコクニオシビト の命(#孝安天皇 )、大和の#葛城 の室の#秋津島 の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は姪《めい》の#オシカヒメ の命と結婚してお生みになつた御子は、#オホキビノモロスス の命と#オホヤマトネコヒコフトニ の命とお二方です。
このオホヤマトネコ彦フトニの命は天下をお治めなさいました。
天皇は御年百二十三歳、御陵は玉手の岡の上にあります。
🌼孝霊天皇
#オホヤマトネコヒコフトニ の命(#孝霊天皇 )、大和の黒田の#廬戸 《いおと》の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇、トヲチの縣主の祖先のオホメの女の#クハシヒメ の命と結婚してお生みになつた御子は、
#オホヤマトネコヒコクニクル の命お一方です。
また#春日 《かすが》の#チチハヤマワカヒメ と結婚してお生みになつた御子は、チチハヤ姫の命お一方です。
#オホヤマトクニアレヒメ の命と結婚してお生みになつた御子は、#ヤマトトモモソヒメ の命・#ヒコサシカタワケ の命・#ヒコイサセリヒコ の命、またの名は#オホキビツヒコ の命・#ヤマトトビハヤワカヤヒメ のお四方です。
またその#アレヒメ の命の妹#ハヘイロド と結婚してお生みになつた御子は、#ヒコサメマ の命と#ワカヒコタケキビツヒコ の命とお二方です。
この天皇の御子《みこ》は合わせて八人おいでになりました。男王五人、女王三人です。
そこでオホヤマトネコ彦クニクルの命は天下をお治めなさいました。
#オホキビツヒコ の命と#ワカタケキビツヒコ の命とは、お二方で#播磨 《はりま》の氷《ひ》の河《かわ》の埼《さき》に忌瓮《いわいべ》を据《す》えて神《かみ》を祭《まつ》り、播磨からはいつて#吉備 《きび》の國を平定されました。
このオホキビツ彦の命は、吉備の上の道の臣の祖先です。
次にワカヒコタケキビツ彦の命は、吉備の下の道の臣・笠の臣の祖先です。
次に#ヒコサメマ の命は、播磨の#牛鹿 《うしか》の臣の祖先です。
次にヒコサシカタワケの命は、#高志 《こし》の#利波 《となみ》の臣・豐國の國|前《さき》の臣・五百原の君・#角鹿 の濟《わたり》の直の祖先です。
天皇は御年百六歳、御陵は片岡の#馬坂 《うまさか》の上にあります。
🌼孝元天皇
——タケシウチの宿禰の諸子をあげているのは豪族の祖先だからである。——
オホヤマトネコ彦クニクルの命( #孝元天皇 )、
大和の輕の堺原《さかいはら》の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は穗積《ほずみ》の臣等の祖先のウツシコヲの命の妹のウツシコメの命と結婚してお生みになつた御子は大彦《おおびこ》の命・スクナヒコタケヰココロの命・ワカヤマトネコ彦オホビビの命のお三方です。
またウツシコヲの命の女のイカガシコメの命と結婚してお生みになつた御子はヒコフツオシノマコトの命お一方です。
また河内のアヲタマの女のハニヤス姫と結婚してお生みになつた御子はタケハニヤス彦の命お一方です。
この天皇の御子たち合わせてお五方《いつかた》おいでになります。
このうちワカヤマトネコ彦オホビビの命は天下をお治めなさいました。
その兄、大彦の命の子タケヌナカハワケの命は阿部の臣等の祖先です。
次にヒコイナコジワケの命は膳《かしわで》の臣の祖先です。
ヒコフツオシノマコトの命が、尾張《おわり》の連の祖先のオホナビの妹の葛城《かずらき》のタカチナ姫と結婚して生んだ子はウマシウチの宿禰《すくね》、これは山代《やましろ》の内の臣の祖先です。
また木の國《くに》の造《みやつこ》の祖先のウヅ彦の妹のヤマシタカゲ姫と結婚して生んだ子はタケシウチの宿禰です。
このタケシウチの宿禰の子は合わせて九|人《にん》あります。
男七人女二人です。そのハタノヤシロの宿禰は波多の臣・林の臣・波美の臣・星川の臣・淡海の臣・長谷部の君の祖先です。
コセノヲカラの宿禰は許勢の臣・雀部の臣・輕部の臣の祖先です。ソガノイシカハの宿禰は蘇我の臣・川邊の臣・田中の臣・高向《たかむく》の臣・小治田《おはりだ》の臣・櫻井の臣・岸田の臣等の祖先です。
ヘグリノツクの宿禰《すくね》は、平群の臣・佐和良の臣・馬の御《みくい》の連等の祖先です。
キノツノの宿禰《すくね》は、木の臣・都奴の臣・坂本の臣の祖先です。
次にクメノマイト姫・ノノイロ姫です。
葛城《かずらき》の長江《ながえ》のソツ彦は、玉手の臣・的《いくは》の臣・生江の臣・阿藝那《あきな》の臣等の祖先です。
次に若子《わくご》の宿禰《すくね》は、江野の財の臣の祖先です。
この天皇は御年五十七歳、御陵《ごりよう》は劒の池の中の岡の上にあります。
🌼開化天皇
ワカヤマトネコ彦オホビビの命(#開化天皇 )、大和の春日のイザ河の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
この天皇は、丹波《たんば》の大縣主《おおあがたぬし》ユゴリの女のタカノ姫と結婚してお生みになつた御子はヒコユムスミの命お一方です。
またイカガシコメの命と結婚してお生みになつた御子はミマキイリ彦イニヱの命とミマツ姫の命とのお二方です。
また丸邇《わに》の臣の祖先のヒコクニオケツの命の妹のオケツ姫の命と結婚してお生みになつた御子はヒコイマスの王《みこ》お一方です。
また葛城《かずらき》のタルミの宿禰の女のワシ姫と結婚してお生みになつた御子はタケトヨハツラワケの王お一方です。
合わせて五人おいでになりました。
このうちミマキイリ彦イニヱの命は天下をお治めなさいました。
その兄ヒコユムスミの王の御子は、オホツツキタリネの王とサヌキタリネの王とお二方で、この二王の女は五人ありました。
次にヒコイマスの王が山代《やましろ》のエナツ姫、またの名はカリハタトベと結婚して生んだ子はオホマタの王とヲマタの王とシブミの宿禰の王とお三方です。
またこの王が春日のタケクニカツトメの女のサホのオホクラミトメと結婚して生んだ子がサホ彦の王・ヲザホの王・サホ姫の命・ムロビコの王のお四方です。
サホ姫の命はまたの名はサハヂ姫で、この方はイクメ天皇の皇后樣におなりになりました。
また近江の國の御上《みかみ》山の神職がお祭するアメノミカゲの神の女オキナガノミヅヨリ姫と結婚して生んだ子は丹波ノヒコタタスミチノウシの王・ミヅホノマワカの王・カムオホネの王、またの名はヤツリのイリビコの王・ミヅホノイホヨリ姫・ミヰツ姫の五人です。また母の妹オケツ姫と結婚して生んだ子は山代のオホツツキのマワカの王・ヒコオスの王・イリネの王の三人です。すべてヒコイマスの王の御子は合わせて十五人ありました。
兄のオホマタの王の子はアケタツの王・ウナガミの王の二人です。
このアケタツの王は、伊勢の品遲部《ほんじべ》・伊勢の佐那の造の祖先です。ウナガミの王は、比賣陀の君の祖先です。
次にヲマタの王は當麻《たぎま》の勾《まがり》の君の祖先です。次にシブミの宿禰の王は佐佐の君の祖先です。
次にサホ彦の王は日下部《くさかべ》の連・甲斐の國の造の祖先です。
次にヲザホの王は葛野《かずの》の別・近つ淡海の蚊野《かや》の別の祖先です。
次にムロビコの王は若狹の耳の別の祖先です。
そのミチノウシの王が丹波の河上のマスの郎女《いらつめ》と結婚して生んだ子はヒバス姫の命・マトノ姫の命・オト姫の命・ミカドワケの王の四人です。
このミカドワケの王は、三川の穗の別の祖先です。このミチノウシの王の弟ミヅホノマワカの王は近つ淡海の安の直の祖先です。
次にカムオホネの王は三野の國の造・本巣《もとす》の國の造・長幡部《ながはたべ》の連の祖先です。
その山代《やましろ》のオホツツキマワカの王は弟君イリネの王の女の丹波《たんば》のアヂサハ姫と結婚して生んだ御子は、カニメイカヅチの王です。
この王が丹波《たんば》の遠津の臣の女のタカキ姫と結婚して生んだ御子はオキナガの宿禰の王です。
この王が葛城のタカヌカ姫と結婚して生んだ御子がオキナガタラシ姫の命・ソラツ姫の命・オキナガ彦の王の三人です。
このオキナガ彦の王は、吉備の品遲《ほむじ》の君・播磨の阿宗の君の祖先です。
またオキナガの宿禰の王が、カハマタノイナヨリ姫と結婚して生んだ子がオホタムサカの王で、この方は但馬《たじま》の國の造の祖先です。
上に出たタケトヨハヅラワケの王は、道守の臣・忍海部の造・御名部の造・稻羽の忍海部・丹波の竹野の別・依網《よさみ》の阿毘古等の祖先です。この天皇は御年六十三歳、御陵はイザ河の坂の上にあります。
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