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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

【🦢古典BGM 古事記1〜序文〜イザナギ命とイザナミ命】

【序文】

🌸過去の時代🌸

——古事記の成立の前提として、本文に記されている過去のことについて、

まずわれわれが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、

續いて歴代の天皇がこれによつて徳教を正したことを述べる。

太の安萬侶によつて代表される古人が、

古事記の内容をどのように考えていたかがあきらかにされる。

古事記成立の思想的根據である。——

 わたくし安萬侶《やすまろ》が申しあげます。

 宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、

その氣性はまだ十分でございませんでしたので、

名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。

それからして天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、

タカミムスビの神、カムムスビの神が、

すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、

イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました。

そこでイザナギの命は、地下の世界を訪れ、またこの國に歸つて、

禊《みそぎ》をして日の神と月の神とが目を洗う時に現われ、

海水に浮き沈みして身を洗う時に、さまざまの神が出ました。

それ故に最古の時代は、くらくはるかのあちらですけれども、

前々からの教によつて國土を生み成した時のことを知り、

先の世の物しり人によつて神を生み人間を成り立たせた世のことがわかります。

 ほんとにそうです。

神々が賢木《さかき》の枝に玉をかけ、

スサノヲの命が玉を噛んで吐いたことがあつてから、

代々の天皇が續き、天照らす大神が劒をお噛みになり、

スサノヲの命が大蛇を斬つたことがあつてから、

多くの神々が繁殖しました。

神々が天のヤスの川の川原で會議をなされて、天下を平定し、

タケミカヅチノヲの命が、

出雲の國のイザサの小濱で大國主の神に領土を讓るようにと談判されてから

國内をしずかにされました。

これによつてニニギの命が、はじめてタカチホの峯にお下りになり、

神武天皇がヤマトの國におでましになりました。

この天皇のおでましに當つては、ばけものの熊が川から飛び出し、

天からはタカクラジによつて劒をお授けになり、

尾のある人が路をさえぎつたり、大きなカラスが吉野へ御案内したりしました。

人々が共に舞い、合圖の歌を聞いて敵を討ちました。

そこで崇神天皇は、夢で御承知になつて神樣を御崇敬になつたので、

賢明な天皇と申しあげますし、

仁徳天皇は、民の家の煙の少いのを見て人民を愛撫されましたので、

今でも道に達した天皇と申しあげます。

成務天皇は近江の高穴穗の宮で、國や郡の境を定め、地方を開發され、

允恭天皇は、大和の飛鳥の宮で、氏々の系統をお正しになりました。

それぞれ保守的であると進歩的であるとの相違があり、

華やかなのと質素なのとの違いはありますけれども、

いつの時代にあつても、古いことをしらべて、現代を指導し、

これによつて衰えた道徳を正し、

絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした。

 

 

🪻古事記の企画🪻

 

——前半は天武天皇の御事蹟と徳行について述べる。

後半、古來の伝えごとに關心をもたれ、

これをもつて國家經營の基本であるとなし、

これを正して稗田の阿禮をして誦み習わしめられたが、

まだ書物とするに至らなかつたことを記す。——

 

 飛鳥《あすか》の清原《きよみはら》の大宮において

天下をお治めになつた天武天皇の御世に至つては、

まず皇太子として帝位に昇るべき徳をお示しになりました。

しかしながら時がまだ熟しませんでしたので

吉野山に入つて衣服を代えてお隱れになり、

人と事と共に得て伊勢の國において堂々たる行動をなさいました。

お乘物が急におでましになつて山や川をおし渡り、

軍隊は雷のように威を振い部隊は電光のように進みました。

武器が威勢を現わして強い將士がたくさん立ちあがり、

赤い旗のもとに武器を光らせて敵兵は瓦のように破れました。

まだ十二日にならないうちに、惡氣が自然にしずまりました。

そこで軍に使つた牛馬を休ませ、

なごやかな心になつて大和の國に歸り、旗を卷き武器を納めて、

歌い舞つて都におとどまりになりました。

そうして酉の年の二月に、清原の大宮において、

天皇の位におつきになりました。

その道徳は黄帝以上であり、周の文王よりもまさつていました。

神器を手にして天下を統一し、

正しい系統を得て四方八方を併合されました。

陰と陽との二つの気性の正しいのに乘じ、

木火土金水の五つの性質の順序を整理し、

貴い道理を用意して世間の人々を指導し、

すぐれた道徳を施して國家を大きくされました。

そればかりではなく、

知識の海はひろびろとして古代の事を深くお探りになり、

心の鏡はぴかぴかとして前の時代の事をあきらかに御覽になりました。

 ここにおいて天武天皇の仰せられましたことは

「わたしが聞いていることは、諸家で持ち傳えている帝紀と本辞とが、

既に真実と違い多くの僞りを加えているということだ。

今の時代においてその間違いを正さなかつたら、

幾年もたたないうちに、その本旨が無くなるだろう。

これは国家組織の要素であり、天皇の指導の基本である。

そこで帝紀を記し定め、本辭をしらべて後世に傳えようと思う」

と仰せられました。

その時に稗田の阿禮という奉仕の人がありました。

年は二十八でしたが、人がらが賢く、目で見たものは口で読み伝え、

耳で聞いたものはよく記憶しました。

そこで阿禮に仰せ下されて、帝紀と本辭とを讀み習わしめられました。

しかしながら時勢が移り世が變わつて、まだ記し定めることをなさいませんでした。

 

🌺古事記の成立🌺

——はじめに元明天皇の徳をたたえ、

その命令によつて稗田の阿禮の誦み習つたものを記したことを述べる。

特に文章を書くにあたつての苦心が述べられている。

そうして記事の範圍、およびこれを三卷に分けたことを述べて終る。——

 

 謹んで思いまするに、今上天皇陛下(元明天皇)は、

帝位におつきになつて堂々とましまし、

天地人の萬物に通じて人民を正しくお育てになります。

皇居にいまして道徳をみちびくことは、陸地水上のはてにも及んでいます。

太陽は中天に昇つて光を増し、雲は散つて晴れわたります。

二つの枝が一つになり、一本の莖から二本の穗が出るようなめでたいしるしは、

書記が書く手を休めません。

國境を越えて知らない國から奉ります物は、お倉にからになる月がありません。

お名まえは夏の禹王《うおう》よりも高く聞え

御徳は殷《いん》の湯王《とうおう》よりもまさつているというべきであります。

そこで本辭の違つているのを惜しみ、帝紀の誤つているのを正そうとして、

和銅四年九月十八日を以つて、わたくし安萬侶に仰せられまして、

稗田の阿禮が讀むところの天武天皇の仰せの本辭を記し定めて獻上せよと仰せられましたので、

謹んで仰せの主旨に從つて、こまかに採録いたしました。

 しかしながら古代にありましては、言葉も内容も共に素朴でありまして、

文章に作り、句を組織しようと致しましても、文字に書き現わすことが困難であります。

文字を訓で讀むように書けば、その言葉が思いつきませんでしようし、

そうかと言つて字音で讀むように書けばたいへん長くなります。

そこで今、一句の中に音讀訓讀の文字を交えて使い、

時によつては一つの事を記すのに全く訓讀の文字ばかりで書きもしました。

言葉やわけのわかりにくいのは註を加えてはつきりさせ、

意味のとり易いのは別に註を加えません。

またクサカという姓に日下と書き、タラシという名まえに帶の字を使うなど、

こういう類は、もとのままにして改めません。

大體書きました事は、天地のはじめから推古天皇の御代まででございます。

そこでアメノミナカヌシの神からヒコナギサウガヤフキアヘズの命までを上卷とし、

神武天皇から應神天皇までを中卷とし、

仁徳天皇から推古天皇までを下卷としまして、合わせて三卷を記して、謹んで獻上いたします。

わたくし安萬侶、謹みかしこまつて申しあげます。

     和銅五年正月二十八日

     正五位の上勳五等 太の朝臣安萬侶

 

🌿イザナギの命とイザナミの命🌿

【天地のはじめ】

——世界のはじめにまず神々の出現したことを説く。

これらの神名には、それぞれ意味があつて、

その順次に出現することによつて世界ができてゆくことを述べる。

特に最初の三神は、抽象的概念の表現として重視される。

日本の神話のうちもつとも思想的な部分である。——

 

 昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、

お名をアメノミナカヌシの神といいました。

次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、

この御《お》三|方《かた》は皆お獨で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました。

次に國ができたてで水に浮いた脂のようであり、

水母《くらげ》のようにふわふわ漂つている時に、

泥の中から葦《あし》が芽《め》を出して來るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、

ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。

この方々《かたがた》も皆お獨で御出現になつて形をお隱しになりました。

 以上の五神は、特別の天の神樣です。

 それから次々に現われ出た神樣は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、

スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、

オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。

このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。

そのうち始めの御二方《おふたかた》はお獨立《ひとりだ》ちであり、

ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました。

 

【島々の生成】

——神が生み出す形で國土の起原を語る。——

 そこで天の神樣方の仰せで、

イザナギの命《みこと》・イザナミの命《みこと》御二方《おふたかた》に、

「この漂つている國を整えてしつかりと作り固めよ」とて、

りつぱな矛《ほこ》をお授けになつて仰せつけられました。

それでこの御二方《おふたかた》の神樣は天からの階段にお立ちになつて、

その矛《ほこ》をさしおろして下の世界をかきまわされ、

海水を音を立ててかきまわして引きあげられた時に、

矛の先から滴る海水が、積つて島となりました。

これがオノゴロ島です。

その島にお降りになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てになりました。

 そこでイザナギの命が、イザナミの女神に

「あなたのからだは、どんなふうにできていますか」と、お尋ねになりましたので、

「わたくしのからだは、できあがつて、でききらない所が一か所あります」

とお答えになりました。

そこでイザナギの命の仰せられるには

「わたしのからだは、できあがつて、でき過ぎた所が一か所ある。

だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして國を生み出そうと思うがどうだろう」

と仰せられたので、イザナミの命が「それがいいでしよう」

とお答えになりました。

そこでイザナギの命が

「そんならわたしとあなたが、この太い柱をまわりあつて、結婚をしよう」

と仰せられてこのように約束して仰せられるには

「あなたは右からおまわりなさい。わたしは左からまわつてあいましよう」

と約束しておまわりになる時に、イザナミの命が先に

「ほんとうにりつぱな青年ですね」といわれ、

その後でイザナギの命が

「ほんとうに美しいお孃さんですね」といわれました。

それぞれ言い終つてから、その女神に

「女が先に言つたのはよくない」とおつしやいましたが、

しかし結婚をして、これによつて御子《みこ》水蛭子《ひるこ》をお生みになりました。

この子はアシの船に乘せて流してしまいました。

次に淡島《あわしま》をお生みになりました。

これも御子《みこ》の數にははいりません。

 かくて御二方で御相談になつて、

「今わたしたちの生んだ子がよくない。これは天の神樣のところへ行つて申しあげよう」

と仰せられて、御一緒に天に上《のぼ》つて天の神樣の仰せをお受けになりました。

そこで天の神樣の御命令で鹿の肩の骨をやく占い方で占いをして仰せられるには、

「それは女の方が先に物を言つたので良くなかつたのです。歸り降つて改めて言い直したがよい」

と仰せられました。

そういうわけで、また降つておいでになつて、またあの柱を前のようにおまわりになりました。

今度はイザナギの命《みこと》がまず

「ほんとうに美《うつく》しいお孃さんですね」

とおつしやつて、後にイザナミの命が

「ほんとうにりつぱな青年ですね」と仰せられました。

かように言い終つて結婚をなさつて御子の淡路のホノサワケの島をお生みになりました。

次に伊豫《いよ》の二名《ふたな》の島(四國)をお生みになりました。

この島は身《み》一つに顏《かお》が四つあります。その顏ごとに名があります。

伊豫《いよ》の國をエ姫《ひめ》といい、讚岐《さぬき》の國をイヒヨリ彦《ひこ》といい、

阿波《あわ》の國をオホケツ姫といい、土佐《とさ》の國をタケヨリワケといいます。

次に隱岐《おき》の三子《みつご》の島をお生みなさいました。

この島はまたの名をアメノオシコロワケといいます。

次に筑紫《つくし》の島(九州)をお生《う》みになりました。

やはり身《み》一つに顏が四つあります。

顏ごとに名がついております。それで筑紫《つくし》の國をシラヒワケといい、

豐《とよ》の國をトヨヒワケといい、肥《ひ》の國をタケヒムカヒトヨクジヒネワケといい、

熊曾《くまそ》の國をタケヒワケといいます。

に壹岐《いき》の島をお生みになりました。

この島はまたの名を天一《あめひと》つ柱《はしら》といいます。

次に對馬《つしま》をお生みになりました。

またの名をアメノサデヨリ姫といいます。次に佐渡《さど》の島をお生みになりました。

次に大倭豐秋津島《おおやまととよあきつしま》(本州)をお生みになりました。

またの名をアマツミソラトヨアキツネワケといいます。

この八つの島がまず生まれたので大八島國《おおやしまぐに》というのです。

それからお還《かえ》りになつた時に吉備《きび》の兒島《こじま》をお生みになりました。

またの名をタケヒガタワケといいます。次に小豆島《あずきじま》をお生みになりました。

またの名をオホノデ姫《ひめ》といいます。次に大島をお生《う》みになりました。

またの名をオホタマルワケといいます。

次に女島《ひめじま》をお生みになりました。

またの名を天《あめ》一つ根といいます。

次にチカの島をお生みになりました。

またの名をアメノオシヲといいます。

次に兩兒《ふたご》の島をお生みになりました。

またの名をアメフタヤといいます。

吉備の兒島からフタヤの島まで合わせて六島です。

 

🌿神々の生成🌿

——前と同じ形で萬物の起原を語る。

火の神を生んでから水の神などの出現する部分は鎭火祭の思想による。——

 

 このように國々を生み終つて、更《さら》に神々をお生みになりました。

そのお生み遊ばされた神樣の御《おん》名はまずオホコトオシヲの神、

次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、

次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、

次にカザモツワケノオシヲの神をお生みになりました。

次に海の神のオホワタツミの神をお生みになり、

次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神とをお生みになりました。

オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神です。

このハヤアキツ彦とハヤアキツ姫の御二方が河と海とで

それぞれに分けてお生みになつた神の名は、

アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・

クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神であります。

アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です。

次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、

山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ姫の神、

またの名をノヅチの神という神をお生みになりました。

シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です。

このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けてお生みになつた神の名は、

アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・

アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神であります。

アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です。

 

 次にお生みになつた神の名はトリノイハクスブネの神、

この神はまたの名を天《あめ》の鳥船《とりふね》といいます。

次にオホゲツ姫の神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、

またの名をホノカガ彦の神、またの名をホノカグツチの神といいます。

この子《こ》をお生みになつたために

イザナミの命は御陰《みほと》が燒かれて御病氣になりました。

その嘔吐《へど》でできた神の名はカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、

屎《くそ》でできた神の名はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、

小便でできた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神です。

この神の子はトヨウケ姫の神といいます。

かような次第でイザナミの命は火の神をお生みになつたために

遂《つい》にお隱《かく》れになりました。

天の鳥船からトヨウケ姫の神まで合わせて八神です。

 すべてイザナギ・イザナミのお二方の神が、

共にお生みになつた島の數は十四、神は三十五神であります。

これはイザナミの神がまだお隱れになりませんでした前にお生みになりました。

ただオノゴロ島はお生みになつたのではありません。

また水蛭子《ひるこ》と淡島とは子の中に入れません。

 

🪷黄泉《よみ》の國🪷

——地下にくらい世界があつて、魔物がいると考えられている。

これは異郷説話の一つである。

火の神を斬る部分は鎭火祭の思想により、黄泉の國から逃げてくる部分は、

道饗祭の思想による。黄泉の部分は、主として出雲系統の傳來である。

 

 そこでイザナギの命の仰せられるには、

「わたしの最愛の妻を一人の子に代えたのは殘念だ」と仰せられて、

イザナミの命の枕の方や足の方に這《は》い臥《ふ》してお泣きになつた時に、

涙で出現した神は

香具山の麓の小高い處の木の下においでになる泣澤女《なきさわめ》の神です。

このお隱れになつたイザナミの命は

出雲の國と伯耆《ほうき》の國との境にある比婆《ひば》の山にお葬り申し上げました。

 ここにイザナギの命は、お佩《は》きになつていた長い劒を拔いて

御子《みこ》のカグツチの神の頸《くび》をお斬りになりました。

その劒の先についた血が清らかな巖《いわお》に走りついて出現した神の名は、

イハサクの神、次にネサクの神、次にイハヅツノヲの神であります。

次にその劒のもとの方についた血も、巖に走りついて出現した神の名は、

ミカハヤビの神、次にヒハヤビの神、次にタケミカヅチノヲの神、

またの名をタケフツの神、またの名をトヨフツの神という神です。

次に劒の柄に集まる血が手のまたからこぼれ出して出現した神の名はクラオカミの神、

次にクラミツハの神であります。

以上イハサクの神からクラミツハの神まで合わせて八神は、

御劒によつて出現した神です。

 殺されなさいましたカグツチの神の、頭に出現した神の名はマサカヤマツミの神、

胸に出現した神の名はオトヤマツミの神、腹に出現した神の名はオクヤマツミの神、

御陰《みほと》に出現した神の名はクラヤマツミの神、

左の手に出現した神の名はシギヤマツミの神、

右の手に出現した神の名はハヤマツミの神、

左の足に出現した神の名はハラヤマツミの神、

右の足に出現した神の名はトヤマツミの神であります。

マサカヤマツミの神からトヤマツミの神まで合わせて八神です。

そこでお斬りになつた劒の名はアメノヲハバリといい、

またの名はイツノヲハバリともいいます。

 

 イザナギの命はお隱れになつた女神にもう一度會いたいと思われて、

後《あと》を追つて黄泉《よみ》の國に行かれました。

そこで女神が御殿の組んである戸から出てお出迎えになつた時に、

イザナギの命《みこと》は、

「最愛のわたしの妻よ、あなたと共に作つた國はまだ作り終らないから還つていらつしやい」

と仰せられました。

しかるにイザナミの命《みこと》がお答えになるには、

「それは殘念なことを致しました。

早くいらつしやらないのでわたくしは黄泉《よみ》の國の食物を食べてしまいました。

しかしあなた樣がわざわざおいで下さつたのですから、

なんとかして還りたいと思います。

黄泉《よみ》の國の神樣に相談をして參りましよう。

その間わたくしを御覽になつてはいけません」

とお答えになつて、御殿のうちにお入りになりましたが、

なかなか出ておいでになりません。

あまり待ち遠だつたので左の耳のあたりにつかねた髮に插《さ》していた

清らかな櫛の太い齒を一本|闕《か》いて一本 火を燭《とぼ》して入つて御覽になると

蛆《うじ》が湧《わ》いてごろごろと鳴つており、

頭には大きな雷が居、胸には火の雷が居、

腹には黒い雷が居、陰にはさかんな雷が居、

左の手には若い雷が居、右の手には土の雷が居、

左の足には鳴る雷が居、右の足にはねている雷が居て、

合わせて十種の雷が出現していました。

そこでイザナギの命が驚いて逃げてお還りになる時にイザナミの命は

「わたしに辱《はじ》をお見せになつた」

と言つて黄泉《よみ》の國の魔女を遣《や》つて追わせました。

よつてイザナギの命が御髮につけていた黒い木の蔓《つる》の輪を取つて

お投げになつたので野葡萄《のぶどう》が生《は》えてなりました。

それを取つてたべている間に逃げておいでになるのをまた追いかけましたから、

今度は右の耳の邊につかねた髮に插しておいでになつた清らかな櫛の歯をかいて

お投げになると筍《たけのこ》が生《は》えました。

それを拔いてたべている間にお逃げになりました。

後《のち》にはあの女神の身体中に生じた雷の神たちに

たくさんの黄泉《よみ》の國の魔軍を副えて追《お》わしめました。

そこでさげておいでになる長い劒を拔いて後の方に振りながら逃げておいでになるのを、

なお追つて、黄泉比良坂《よもつひらさか》の坂本《さかもと》まで來た時に、

その坂本にあつた桃の実を三つとつてお撃ちになつたから皆逃げて行きました。

そこでイザナギの命はその桃の実に、

「お前がわたしを助けたように、

この葦原《あしはら》の中の國に生活している多くの人間たちが

苦しい目にあつて苦しむ時に助けてくれ」

と仰せになつてオホカムヅミの命という名を下さいました。

最後には女神イザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、

大きな巖石をその黄泉比良坂《よもつひらさか》に塞《ふさ》いで

その石を中に置いて兩方で對《むか》い合つて離別の言葉を交した時に、

イザナミの命が仰せられるには、

「あなたがこんなことをなされるなら、

わたしはあなたの國の人間を一日に千人も殺してしまいます」

といわれました。

そこでイザナギの命は

「あんたがそうなされるなら、わたしは一日に千五百も産屋《うぶや》を立てて見せる」

と仰せられました。

こういう次第で一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人生まれるのです。

かくしてそのイザナミの命を黄泉津大神《よもつおおかみ》と申します。

またその追いかけたので、道及《ちし》きの大神とも申すということです。

その黄泉の坂に塞《ふさ》がつている巖石は

塞いでおいでになる黄泉《よみ》の入口の大神と申します。

その黄泉比良坂《よもつひらさか》というのは、

今の出雲《いずも》の國のイブヤ坂《ざか》という坂です。

 

🌿身禊《みそぎ》🌿

——みそぎの意義を語る。人生の災禍がこれによつて拂われるとする。——

 イザナギの命は黄泉《よみ》の國からお還りになつて、

「わたしは隨分|厭《いや》な穢《きたな》い國に行つたことだつた。

わたしは禊《みそぎ》をしようと思う」

と仰せられて、筑紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》の

アハギ原《はら》においでになつて禊《みそぎ》をなさいました。

その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝《つ》き立《た》つフナドの神、

投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、

投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、

投げ棄てる衣《ころも》であらわれた神は煩累《わずらい》の大人《うし》の神、

投げ棄てる褌《はかま》であらわれた神はチマタの神、

投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、

投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神は

オキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツカヒベラの神、

投げ棄てる右の手につけた腕卷であらわれた神は

ヘザカルの神とヘツナギサビコの神とヘツカヒベラの神とであります。

以上フナドの神からヘツカヒベラの神まで十二神は、

おからだにつけてあつた物を投げ棄てられたのであらわれた神です。

そこで、

「上流の方は瀬が速い、下流《かりゆう》の方は瀬が弱い」

と仰せられて、

眞中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、

ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。

この二神は、

あの穢い國においでになつた時の汚垢《けがれ》によつてあらわれた神です。

次にその禍《わざわい》を直そうとしてあらわれた神は、

カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです。

次に水底でお洗いになつた時にあらわれた神は

ソコツワタツミの神とソコヅツノヲの命、

海中でお洗いになつた時にあらわれた神は

ナカツワタツミの神とナカヅツノヲの命、

水面でお洗いになつた時にあらわれた神は

ウハツワタツミの神とウハヅツノヲの命です。

このうち御三方《おさんかた》のワタツミの神は

安曇氏《あずみうじ》の祖先神《そせんじん》です。

よつて安曇の連《むらじ》たちは、

そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。

また、ソコヅツノヲの命・ナカヅツノヲの命・ウハヅツノヲの命|御三方は

住吉神社《すみよしじんじや》の三座の神樣であります。

かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は

天照《あまて》らす大神《おおみかみ》、

右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月讀《つくよみ》の命、

鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲの命でありました。

 以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、

おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。

 イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、

「わたしは隨分《ずいぶん》澤山《たくさん》の子《こ》を生《う》んだが、

一|番《ばん》しまいに三人の貴い御子《みこ》を得た」と仰せられて、

頸《くび》に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと搖《ゆら》がして

天照《あまて》らす大神にお授けになつて、

「あなたは天をお治めなさい」

と仰せられました。

この御頸《おくび》に掛《か》けた珠《たま》の名をミクラタナの神と申します。

次に月讀《つくよみ》の命に、「あなたは夜の世界をお治めなさい」

と仰せになり、

スサノヲの命には、

「海上をお治めなさい」と仰せになりました。

それでそれぞれ命ぜられたままに治められる中に、

スサノヲの命だけは命ぜられた國をお治めなさらないで、

長い鬚《ひげ》が胸に垂れさがる年頃になつてもただ泣きわめいておりました。

その泣く有樣は青山が枯山になるまで泣き枯らし、

海や河は泣く勢いで泣きほしてしまいました。

そういう次第ですから亂暴な神の物音は夏の蠅が騷ぐようにいつぱいになり、

あらゆる物の妖《わざわい》が悉く起りました。

そこでイザナギの命がスサノヲの命に仰せられるには、

「どういうわけであなたは命ぜられた國を治めないで泣きわめいているのか」

といわれたので、スサノヲの命は、

「わたくしは母上のおいでになる黄泉《よみ》の國に行きたいと思うので泣いております」

と申されました。

そこでイザナギの命が大變お怒りになつて、

「それならあなたはこの國には住んではならない」

と仰せられて追いはらつてしまいました。

このイザナギの命は、

淡路の多賀《たが》の社《やしろ》にお鎭《しず》まりになつておいでになります。