春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。
前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏《たそがれ》時に、
楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、
はなやかな気分がまず作られたのである。
源氏も時々声を添えた。
福草《さきぐさ》の三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。
どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。
こうしたはなやかな遊びも派手な人出入りの物音も
遠く離れた所で聞いている紫の女王以外の夫人たちは、
極楽世界に生まれても下品下生《げぼんげしょう》の仏で、
まだ開かない蓮《はす》の蕾《つぼみ》の中にこもっている気がされた。
まして離れた東の院にいる人たちは、
年月に添えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、
うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、
源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。
物質的の心配はいっさいなかったから、
仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、
文学好きな人はまたその勉強がよくできた。
住居《すまい》なども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
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