その頃、丁度熊野に参詣した重盛は、
一晩中、何事かを祈願していた。
日頃から、平家の行末に、
暗い予感を感じている重盛にとって、
それは一身をかけた重大な祈りであった。
「父の清盛入道は、何かと悪逆無道を働き、
法皇の心を悩まし、息子としては、
精一杯諫言いたしておりますが、
我が身が至らぬため思うようにまいりません。
この様子では、
父清盛一代の栄華さえ案じられる状態でございます。
ましてや、
子孫が相次いで繁栄などは以ての他の事かとも思われます。
ここに至って私の思いますには、
なまじ高位高官に列せられ、
世の浮沈をなめるよりは名誉を捨て、
官を退き、この世の栄誉を捨てて、
来世の極楽往生を願った方がどんなに良いかとも思うのですが、
凡夫の悲しさ、中々実行できません。
願わくは、南無権現、金剛童子、
清盛入道の悪心を柔らげ、子孫繁栄、
朝廷にお仕えして
いついつまでも天下に平和をもたらしめて下さい。
もし又それがかなえられず、
清盛入道一代の栄華に終るならば、
この重盛の命をお取り上げになって、
来世の苦輪《くりん》をお助け下さい」
重盛が一心に祈っている最中、
灯籠の火のようなものが、
重盛の身から発したかと思うとぱっと消え失せた。
見ていた者は多かったが、
気味の悪さに誰も口には出さなかった。
参詣の帰りに岩田川を渡った時、
嫡子維盛始め公達《きんだち》が、
折柄、夏の事で暑い盛りでもあったので、
涼みがてら水遊びなどをした。
彼らは一様に浄衣の下に薄紫色の衣を着けていたが、
水にぬれて、丁度喪服の色に見えた。
筑後守貞能《ちくごのかみさだよし》が、これをみて、
「何で又、喪服めいた浄衣などお召しなのですか?
縁起でもない、お召し替えなされませ」
というと、重盛が軽く制して、
「私の願いが聞き届けられたのだろう、
着替えるには及ばぬ」
といって、熊野にお礼の奉幣使を送った。
人々は何の事かよくわからずに、
おかしなことだと思っていた。
熊野から帰ると間もなく、
重盛は病の床に就く身となった。
もとより覚悟の前であるから、
療治もされず祈祷も許さなかった。
🪷🎼#仄見える花衣 written by #ハシマミ
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