夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。
高雅に落ち着いている中に、
源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐であった。
幾人かの人を思う幾つかの煩悶《はんもん》は外へ出て、
この人の目につくほどのことがあったのであろう、
「色変はる」というような歌を
詠んできたのではないかと哀れに思って、
源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。
山から折って帰った紅葉は庭のに比べると
すぐれて紅《あか》くきれいであったから、
それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、
また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、
ただ何でもない贈り物として、
御所においでになる中宮の所へ持たせてやった。
手紙は命婦《みょうぶ》へ書いたのであった。
珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、
両宮様いずれへも御無沙汰《ごぶさた》しておりますので、
その際にも上がってみたかったのですが、
しばらく宗教的な勉強をしようとその前から思い立っていまして、
日どりなどを決めていたものですから失礼いたしました。
紅葉は私一人で見ていましては、
錦を暗い所へ置いておく気がしてなりませんから持たせてあげます。
よろしい機会に宮様のお目にかけてください。
と言うのである。
【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】
正妻の葵の上が亡くなった。
六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと
世間は噂していた。
しかし 源氏は冷たくなり 縁が程遠くなった御息所。
彼女は 悩みながらも斎宮とともに伊勢に下ることにする。
いよいよ出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと、
源氏も御息所のもとを訪ねる。
顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、
伊勢へと下って行った。
桐壷院の病が重くなる。
死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを
遺言で託した後 ほどなく崩御してしまう。
時勢は、
左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。
朱雀帝の優しい性格もあって、
政治は右大臣に権力が集中していった。
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