新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。
自然にその日が参るのではございませんか」
と答えていたが、
無言で二人が読み合っている心が別にあった。
口で言うべきことではないから、
そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。
「いかさまに 昔結べる契りにて
この世にかかる 中の隔てぞ
わからない、わからない」
とも源氏は言うのである。
命婦は宮の御|煩悶《はんもん》をよく知っていて、
それだけ告げるのが
恋の仲介《なかだち》をした者の義務だと思った。
「見ても思ふ 見ぬはたいかに 歎《なげ》くらん
こや世の人の 惑ふてふ闇《やみ》
どちらも同じほどお気の毒だと思います」
と命婦は言った。
取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、
度が重なれば邸《やしき》の者も不審を 起こしはせぬかと
宮は心配しておいでになって 王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。
目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、
源氏への同情者として宮のお心では
命婦をお憎みになることもあるらしいのを、
命婦はわびしく思っていた。
意外なことにもなるものであると歎かれたであろうと思われる。
四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。
普通の乳児《ちのみご》よりはずっと大きく
小児《こども》らしくなっておいでになって、
このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。
紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、
帝には思いも寄らぬことでおありになって、
すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召《おぼしめ》した。
帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。
源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、
東宮にお立てになることは
世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、
帝は常に終生の遺憾事に思召して、
長じてますます王者らしい風貌《ふうぼう》の備わっていくのを
御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、
こんな尊貴な女御から
同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、
これこそは瑕《きず》なき玉であると御|寵愛《ちょうあい》になる。
女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。
源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに
帝は抱いておいでになって、
「私は子供がたくさんあるが、
おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。
だから同じように思うのかよく似た気がする。
小さい間は皆こんなものだろうか」
とお言いになって、
非常にかわいくお思いになる様子が拝された。
源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、
もったいなくも、うれしくも、
身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。
ものを言うようなかっこうに
お口をお動かしになるのが 非常にお美しかったから、
自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は
尊重すべきであるとも思った。
宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。
源氏は若宮を見て、
また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて
退出してしまった。
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💠源氏物語 第七帖 紅葉賀💠(前半)
世間は朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備でかまびすしい。
桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、
一の院の五十歳の誕生日の式典という慶事を
より盛大なものにしようという意向を示しているため、
臣下たちも舞楽の準備で浮き立っている。
ところが、それほどまでに望まれていた藤壺の子は桐壺帝の御子ではなく、
その最愛の息子光源氏の子であった。
このことが右大臣側の勢力、特に東宮の母で藤壺のライバル、
また源氏の母を迫害した張本人である弘徽殿女御に
発覚したら二人の破滅は確実なのだが、
若い源氏は向こう見ずにも藤壺に手紙を送り、
また親しい女官を通して面会を求め続けていた。
一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、
一人秘密を抱えとおす決意をし、源氏との一切の交流を持とうとしない。
源氏はそのため華やかな式典で舞を披露することになっても
浮かない顔のままで、
唯一の慰めは北山から引き取ってきた
藤壺の姪に当たる少女若紫(後の紫の上)の
無邪気に人形遊びなどをする姿であった。
帝は式典に参加できない藤壺のために、
特別に手の込んだ試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決める。
源氏は青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、
藤壺も一瞬罪の意識を離れて源氏の美貌を認める。
源氏を憎む弘徽殿女御は、舞を見て
「まことに神が愛でて、さらわれそうな美しさだこと。おお怖い。」
と皮肉り、
同席していたほかの女房などは「なんて意地の悪いことを」と噂する。
紅葉の中見事に舞を終えた翌日、
源氏はそれとは解らぬように藤壺に文を送ったところ、
思いがけず返事が届き胸を躍らせた。
五十の賀の後、源氏は正三位に。
頭中将は正四位下に叙位される。
この褒美に弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満を露わにし、
東宮に窘められる。
翌年二月、藤壺は無事男御子(後の冷泉帝)を出産。
桐壺帝は最愛の源氏にそっくりな美しい皇子を再び得て喜んだが、
それを見る源氏と藤壺は内心罪の意識に苛まれるのだった。
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